生きている人間にも死んだ人間にもわからないお経。一体何を言っているんだろう。祖父に教えてもらって唯一知っている,そして最も有名なお経「般若心経」について、高橋信次先生のご本を中心にいろいろな本を読んで自分なりに納得したところをまとめました。自分の考えも入っており,「世界の定説」ではありませんから,「私の…」としました。「独断と偏見」に満ちているかもしれませんが,私の家内と知り合いの僧侶は分かりやすいと「お世辞」を言ってくれました。
 葬式・家元制度で金儲けに走る仏教、形式だけになってしまった神道。争いに明け暮れるもろもろの宗教。うんざりしますね。正しいと思うことを自分で考え、神や仏に恥ずかしくない生活を実践していくしかありません。難しいことですが。
 これによって多少なりとも「救われる」方が1人でもいればと思い,恥を覚悟で載せました。
                                    
1994.2.26作成,1995.1.11改訂 初山正己

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1.般若心経とは

 般若心経は、お釈迦様(おしゃかさま)の教えを短くまとめたものだと言われています。私たちは 人生でさまざまな苦しみに出会います。なぜ苦しみが生まれるのか、どうすれば苦 しみからのがれ、幸せになれるかを般若心経は教えています。 お経をあげたり、神社・仏閣におまいりしたり、先祖をまつるなど、現在では形だけが「信仰」になっていますが、それでは救われません。大切なことは、お経の 教えを理解し、生きている自分たちが正しい心で正しい生活を行うことです。
  神仏の喜ぶのは、形式的な信仰ではなく、心の美しい人々の正しい行為なのです。

2.やさしい般若心経

(1) 何のために生まれてきたのか

 私たちは天国から来た神の子です。自分の家では恵まれすぎて新しく勉強ができないように、天国でも新しく勉強できません。だからこの世という学校に勉強しに来たのです。ただ、学校にも幼稚園から大学まであるように、人によって、勉強のむずかしさはちがいます。天国にいるとき、今度はどんな勉強をしようかと考え、自分にあった自分用の問題集を持って生まれてきたのです。だから、それに対して文句を言っては いけません。苦しいからといって自殺することはこの 世での勉強をすてることであって、地獄でもう一度特別な訓練を受けなければなり ません。一所懸命にやって合格すれば天国に帰り、次はもう少しむずかしい問題集 を持ってこの世に生まれてきます。合格しなければ、地獄で特別の勉強をやりなお してまた天国に帰り、天国とこの世を行ったり来たりしながらの修行がはじまりま す。地獄からこの世に生まれて来ることはありません。

  「なぜ自分だけがこんなに苦労しなければならないのか」と思ったことがあるで しょう。
まわりを見ると、あまり苦労もせず、気楽にくらしている人がいます。彼
らは幼稚園児なのです。
上になるほど勉強は難しくなり、世の中には自分よりもも
っとすごい勉強をしている人もいます。
この世でどの程度の勉強をするかは、天国
でのその人の位置によります。
神はその者に耐えられないほどの苦しみは与えませ
ん。
幸福なときは謙虚に、不幸なときは神が自分に求めているものに気付いて成長
するチャンスだと考えて、
生きていくのです。
人には幸福と不幸の両方が必要であ
り、真の「幸せ」とは、幸・不幸を超越した「心の平安」を持っていることです。
【注】天国・地獄は、結局は心の中の「想い」によるものであって、天国的な想い をもつ人が天国にいると考えます。般若心経には「地獄」という概念はあり ません。マイナスのことにエネルギーを費やすのは愚かなことなのでしょう。

(2) 本当の自分とは

 私達はこの世では「肉体」という舟(車椅子)に乗 って生活します。今までとちがった不自由な生活です。私達は「肉体」が自分だと思っています。もちろん、肉体がなければ生活できませんか ら、大事にし、肉体をくれた先祖や両親に感謝しなければなりません。しかし、本当の自分は「魂」(た ましい)とその中心である「心」なのです。魂がこ の世とあの世を行ったり来たりするのです。
 心には
神に教えられ、自分が経験をして得た智恵(ちえ)が いっぱいつまっています。「正しい心」で「正しい行い」をすれば、その宝を見つけることができます。つまり、正しく見・思い・話し・行為し・生活し・精進努力し・祈り・瞑想反省しなさいということです。これを八正道(はっしょうどう)といいます。
 このように、「肉体と心」「この世とあの世」は一体のものです。これを般若心経では「色即是空」(しきそくぜくう)と言っています。つまり、「形があって目に見えるもの…色」と「形がなく目に見えないもの…空」は結局は同じものだということを知らなければなりません。
 また、人間は神の子であって、神と自分と他人は本来異なるものではなく、同一のものなのです。他人の幸せは自分の幸せであり、「神と自分が一体のものであることが分かること」を「悟り」と言います。神と同じように考え,行動できる人が「悟った人」なのです。

【注】「神」は「宇宙全体」であり、「神とは何か」を語ることは不可能です。ただ、自らの中や日々の生活の中にも「神の一部」を感じることはできるでしょう。「お陰様」とは,「後で支えてくれている神様のお力で」という意味です。

(3) なぜ苦しみが生まれるのか
 私たちはこの世に生まれて来るとき、天国で神様の子どもとして生活していたこと、前の世で勉強したことなどを全部忘れます。一からスタートしなければならないのです。私たちは自分の肉体だけをたよりに、目で見たり、耳で聞いたり、鼻で臭いをかいだり、舌で味わったり、体で感じたりするしかありません。それが心にはたらいて、今度は心が体に「こうしなさい」と命令するのです。このときに、素直な正しい気持ちであれば正しいことが心に伝わり、正しい命令が出て、全てうまく行きます。でも、まちがったことが心に伝われば、まちがった命令が出て、全てうまく行きません。このように心と体は1つのものであって、互いに行き来しながら心や魂は成長していくのです。また、私たちの心に思うことは天国にも地獄にも通じ、それが実現されていきます。この世とあの世も1つのものなのです。自分の心と行ないが正しい生活からはずれたとき、その暗い想いや行ないが暗い地獄に通じるから心にやすらぎがなくなり、苦しみや悪いことが表われます。神が罰を加えたり、悪霊がつくからではなく、原因は自分の心の中にあるのです。

  厳しい環境の中でも良く学び、明るく立派に生きていく人もいれば、恵まれた環境であっても不平不満を持ち、まちがった生き方をする人もいます。もっとお金や物がほしい、腹が立つ、人がうらやましい、人がうまく行くとねたましい、自分さえ良ければよい、自分だけかわいい、…などと思う心があれば、心に「くもり」ができます。そうすると、神の光が入って来ないので、苦しみや病気など困ったことがおきるのです。雲があれば太陽の光は入って来ませんが、雲の上にはやっぱり太陽の光がそそいでいます。神様はみんなを良い方向に 導いていこうと思っているのです。だから、神の子としてかたよりのない心で反省し、心と行ないをなおして、心のく もりをなくし、光が入って来るようにしていきましょう。
 「百聞は一見にしかず」といいますが、客観的に見ているつもりでも、人は心の鏡で見ています。心の鏡がゆがんでいたり曇っていては正しく物が見えません。
特に「人間」を見るときは心の鏡を磨いておかないと判断を誤ります。
 思いやりがあり、他人や自分を愛し、しっかり勉強や仕事をし、うそを言わず、感謝の心を持って、してもらったことにお返しをしようと思っている人の心はいつも光につつまれ、神様や天使たちがその人の幸福のために協力してくれます。神様や天使は太陽のように、全ての人にエネルギーを与え、見返りを要求しません。私たちはそれを知り、感謝する心を持たなければなりません。心の中で思う良いことや悪いことはみんな記録され、やがて自分自身にはねかえってきます。良いことを思えば良くなり、悪いことを思えば悪くなっていくのです。正しい心、美しい心で、正しい行いをしていれば、神や神の使いである天使からいろいろなことを教えてもらえます。

(4) この世とあの世のしくみ

 水は温度が低くなれば氷になり、温度が高くなれば水蒸気になって見えなくなり ます。
でも、「水」そのものに変わりはありません。
人間も同じで、死んで肉体がなくなっても「魂」というものはなくなりません。
この世とあの世を行ったり来たりしているだけなのです。
新しく生まれるものでも、消えてしまうものでもないのです。

 汚れた沼に咲いてもハスの花がきれいなように、肉体がよごれたり傷ついても、
はきれいに咲かせることができます。増えたり減ったりもしないのです。
 心の世界では、すべてが心だけで通じ、自分の意識もすべて相手に分かってしま います。かくせないのです。
 この世を去るときに持って行けるものは心だけだから、
心をきれいにしておきなさい。物やお金にこだわりを持ってはいけません。

  天国は光に満ちています。肉体がなく、いつまでも変わらず続く世界だから年を 取ったり病気になったり死んだりという苦しみがないのです。天国では宇宙と自分 が一つのものだと考えているから、自分の物を持つ必要も、物を手に入れるために 考えたりする必要もありません。正しい心と行ないで心のくもりを取り除けば、神 の光がさし、光の天使たちが正しい人生の道を教えてくれるようになります。光の 天使たちの姿が見え、話もできるようになっていきます。また、人々を教え、迷っ ている人を助け、見返りを要求しない道を歩んで行けるようになります。さらに、 心の中にある過去の体験、大きな智恵がよみがえり、豊かな人生が送れます。

(5) 神にみちびかれるためにはどうすればよいか
 心の美しい人の所にしか神は表われません。平和な、やすらぎのある生活をして いれば、地獄霊なども近寄らず、自分が悪かったと反省することでしょう。一人一 人が神の子だということを知り、心を大切にし、人との関係を良くし、信頼を持っ て生活しましょう。自分だけ良ければよいという考えを捨て、よくばりにならず、 立派な人から学び、心の貧しい人々に愛の手を差しのべ、心を正しくなおせば、 不満の心は消え去ります。 この世には天国も地獄もあり、勉強するにはもってこいの世界です。神はこの世 に天国と地獄を用意し、私たちが勉強しやすいようにしてくれているのです。
  この世でも「すばらしいこと」「すばらしい人」はさがせばどこにでも見つけるこ とができるはずです。自分もそうなるように努力しましょう。また、この世には 「いやなこと」「いやな人」もありますが、それが目につくときは、自分の姿が映 っているのです。神は他の人、他のものを通して教えてくれることもあるのです。 何を教えてくれているのか、しっかり考えましょう。
 
般若心経の教えはレベルが高いのも確かです。我々は要するに何をすれば良いの か。まず「人は神の子である」こと、「この世とあの世,肉体と心は一体のもので ある」ことを知り、「感謝・反省・実行」を生活の中で実践することです。具体的 には、何事も「ありがたい,幸せだ,良かった」と考えること、1日に1つは「良 いこと」を実行することです。これらを記録すればもっと良いでしょう。

3.般若心経の訳と解説

*摩訶…
心の内にある、偉大な智慧(智恵・仏智)を悟る心の教え。

[解説]私たちの心には、過去現在の全てが記憶されているが、心の不調和により、 くもりを作り、神の光を閉ざしてそれを忘れてしまっている。これはその宝を心の 修業と実践によって思い出すための教えである。

*観自…

 一切の苦しみや災難厄難は、五体から起こる煩悩が心に作用し、正しい基準・ かたよりのない中道の物差しを忘れてしまったために起こるものです。過去・現在・未来の諸現象を自由自在に見聞することのできる悟った方(菩薩)が、 心の内にある偉大な智恵(仏智)を悟るための生活行為を深く実践したとき、この ことを見届けることができるのです。

[解説]私たちの五体つまり、眼耳鼻舌身は、この世で生活していくための肉体舟の 付属物にしかすぎません。永遠に変わることのない船頭つまり、私たちの中心とな るのは神の子である私たちの魂・心です。肉体ももちろん大切ですが、肉体が絶対 で全てだと思い、魂とその中心である心をないがしろにしてはいけません。
 私たちは眼で見たり、耳で聞いたり、鼻で臭いをかいだり、舌で味わったり、体
で感じたりします。しかし、それで確認できる範囲は非常に狭いもので、確認でき ない世界の方がはるかに多いのです。それでも、この世で生活する以上、私たちは できる範囲で正しく見、聞き、かぎ、味わい、話し、行動しなければなりません。 ところが私たちはこの世で生活していくにつれて神の教えや自分の心・魂を忘れ、 この肉体が絶対だと思い込むようになってきました。この五体から生まれる煩悩 (一切の欲望・執着・怒り・ねたみなど)が心に作用し、正しい基準・かたよりのな い物差しを忘れ、汚れた歴史を作り続けてしまったために、一切の苦しみや災難厄 難の原因になっているのです。正しい心で正しい生活を深く実践する人にはそれが 分かってくるでしょう。

*色不…
 色(しき)は空(くう)と異ならず、空は色と異なりません。色はすなわち空であり、 空はすなわち色です。私たちの心の作用によって肉体的行為が表われ、肉体で感 じるものがまた心に作用します。五官を通して心に入ってきたものが心の中の 本能・智性・感情・理性に作用して意志となり、また肉体を使った行動に移って いく。このように心と肉体を行き来しながら魂は進化していくのです。

[解説]色(しき)とは自分たちの眼に見えるもの・存在が確認できるもの、空(くう) とは眼に見えないもの・存在が確認できないものです。これらは異なるものではな く一体のものだということです。例えば、肉体と心、この世(現象界)とあの世(実 在界)、物質とエネルギーなどは同じものであり、一体のものです。これを表した のが色即是空(しきそくぜくう)という言葉です。
 肉体と心は一体のものであって、切り離して考えることはできません。これらはお互いに原因と結果の関係にあります。心に思ったことが肉体を通して表現され、肉体で感じたことが心に伝わり、また肉体を通して表現されるのです。五官(眼耳鼻舌身)を通して正しく心に伝われば、心は正しい命令を五体に与え、全てうまく行くことになります。ところが、正しく心に伝わらなければ心は正しい命令を出すことができず、だんだんまちがった方向に行ってしまうのです。
  私たちの心は無限に広く、自由自在に変化します。心に思うことは天国にも地獄 にも通じ、それが実現されていくのです。罰というものは、自分の心と行いがかた よりのない正しい生活からはずれたとき、その暗い想念や行為が生み出し、暗い地 獄に通じて表われるものです。神が罰を加えるのではありません。原因はあくまで 自分の心の中にあるということを知らなければなりません。不調和な恨み・ねたみ・ 怒り・争い・思い上がり・自分だけが良ければよい・自分だけがかわいいなどの心 を持っている人々は、心が地獄界に通じてしまいます。心にやすらぎなく、肉体的 にも不調和になってしまいます。公害なども人間の作りだしたものであり、闘争と 破壊がお互いの首を絞めるものだということをやがて人間は悟るときがきます。
  これに対し、慈悲深く・愛に富み・勤勉で・いつわりがなく、感謝の心を持って・ 恩に報いる行為を実践する人の心は常に光明に包まれ、天上界の光の天使たちはそ の人の幸福のために協力してくれます。太陽をはじめ、大自然は神仏の心を表現す るものです。神仏は太陽のように、全ての人に無償でエネルギーを与え、見返りを 要求しません。私たちはそれを知り、その恩に報いる心を持たなければなりません。 心の中で思うことと肉体の行為は調和され、安定されていなくてはなりません。
 
多くの人たちの中には正しいということを知っていても自分の都合が悪ければ行為 で表さない者がいます。しかし、心の世界はこの世を超えた世界に通じているから、 心の善悪は全て記録され、やがて自分自身にはねかえってくるのです。

*是諸…
 あらゆる大自然の移り変わる姿や自然の法則は神の心の表われです。すべてのも のは不変であって、生まれることもなくなることもないし、肉体舟自体の垢に汚 れたりきれいになったりすることもないし、増えも減りもしないのです。

[解説]実在界と現象界は一体であり、お互いに原因と結果の関係にあります。全て のものは大宇宙を支配している神の心の表われです。だから、神の心が現実に表わ れ、現実を見れば神の心が分かるのです。同じように、人の行為は心の表われであ って、その行為を見ればその人の心が分かるのです。
  また、すべてのものは不変です。例えば、肉体が滅びても人の魂というものは永 遠の生命であって、実在界と現象界を行ったり来たりし、これをくり返しているに すぎないのです。ちょうど、水が「氷→水→水蒸気」と変化しても、固体・液体 (見える)、気体(見えない)と変わるだけで、物質そのものは変化しないように、新 しく生まれるものでも、消えてしまうものでもないのです。汚れた沼に咲いてもハ スの花がきれいなように、肉体が汚れたり傷ついたりしても、心はきれいに咲かせ ることができます。増えたり減ったりもしないのです。

*是故…
 実在界つまり心の世界では、物質的なものはなく、心の作用が肉体に表われると いう関係もなく、眼でものを見たり、耳で声を聞いたり、鼻で臭いをかぐことも、 舌で味を知ることも、体で感触することも、表面に出ている意識で考えることも、 肉体的な現象も、眼で見える境界もありません。  

[解説]実在界、心の世界では、全てが心だけで通じます。この世では人の心は分か りませんが、あの世では人の心が分かり、自分の意識も全て分かってしまいます。 現在肉体舟についている眼耳鼻舌身意の六根は実在界へ持っていくことはできない から、肉体を通して感知できる現象は一切ないのです。
 「意」とは、表面意識のこ
とです。この世では「心」の中の約10%の意識しか表面に表われないので、ものが見えなくなるのです。残り約90%は潜在意識といって、「心に内在する智恵」です。この中に過去世のことや神の教え、つまり智恵が入っています。般若心経はこれを修行によって悟っていこうと言っているのです。実在界では逆に表面意識が約90%になるから、智恵の宝庫が開かれ、心がほとんど見えてしまいます。
  実在界では人間は「魂・心」、動植物は「意識生命」、物質は「エネルギー」として安定した状態で存在しています。この世を去るときに、全てを置いていかなければならないということを悟りなさい。持って行けるものは心だけだから、心をきれいにしておきなさい。財産・地位・名誉などに執着を持ってはいけません。

*無無…
 実在界は無限の光明に満ち満ちています。肉体のない、永遠・無限・不変の世界 だから老いたり死んだりすることはありません。苦しみの原因となる生老病死と いうものはないのです。従って、苦しみの原因を集めてなくす必要もないのです。 実在界ではあたかも太陽がすべての者に平等な慈愛の光をそそいでいながら代償 を請求しないように、宇宙と自分が一体であると自覚しているから、所得を得る 必要はありません。また、そのための知恵も必要ありません。 正しい心と行いを実践し、心と行いを反省し、その曇りを取り除くことにより神 の光明に満たされれば実在界の光の天使たちが正しい人生の道を教え導くように なります。心の窓が開かれれば実在界の光の天使たちの姿が見え、話もできるよ うになっていきます。また、人々の心に人生の意義と価値を教え、迷える人々を 救済し、無償の道を歩んで行けるようになります。さらに、心の中にある過去の 体験、偉大な智恵がよみがえり、悟りの境地に達することができます。そのように悟った人は心にひっかかりがなく、心の苦しみの原因を作らないか ら恐怖心もなくなるのです。そこで、光明のある、一切の執着心などかたよった 考えから離れた、究極的な(最終的な)悟りの世界に入ります。

[解説]実在界は無限の光に満ち満ちています。地球上の空は雲やスモッグにおおわ れて太陽の光をさえぎることもあるが、雲の上には太陽の光がさんさんとそそいで いるのです。同様に、心が曇れば神の光は届きませんが、曇りを取り除けば神の光 は全ての者に平等に無限にそそがれるのです。ただ、心の美しい人の所にしか神や 天使は表われません。平和な、光明に満ちた生活をしていれば、地獄霊もその姿を 見て自分の非を悟ることでしょう。地獄に落ちている先祖を救うのは、供養やお払 いではなく、平和な光に満ちた生活を見せてあげることです。
 現象界では生まれた環境・教育・思想・習慣によってものの考え方が異なり、 五官を通していろいろな現象を感じるしかありません。だから心の中に曇りを作り、 盲目の人生を歩み、正しい心の物差しを失ってしまうのです。その結果、自ら苦し みを作りだし、人生を無意味に送ってしまう者が多いといえます。だから心の不調 和・心の曇りを取り除く努力が必要なのです。
 実在界では神の心・慈悲・愛の偉大な知恵の宝庫が開かれているため、現象界の ように苦楽の中で新しい学習によって智恵を豊かにする必要がないのです。実在界 に帰っている天使(神の使いである高級霊)・光の天使(さらに高級な霊)たちは、全 て心が広く、大きな慈悲を持っています。そして、全ての者は兄弟であり、大宇宙 は全て自分であるということを悟っています。だから、正しい心と行いを実践して いれば惜しみなく指導してくれるのです。正しい心と行いとは、正しく見、正しく 思い、正しく語り、正しく行為をし、正しく生活し、正しく道に精進し、正しく念 じ(祈り)、正しく定に入る(精神を統一し、真理を考え、反省する)、…ことです。
 
私たちは実在界から来た魂であり、永遠の転生輪廻の過程で今は現象界で不自由 な肉体舟に乗って盲目の人生修業の途上にあります。今の環境は自分が修業のため に選んで来たものだということを忘れてはいけません。現在のいろいろな環境・条 件は、実在界から来るとき、自分が修行し悟りやすいように自分が決めたものだか ら、それに対して不平不満を言ってはいけません。一人一人が心の偉大さに目覚め、 神の子としての自覚を持てば光明の道はおのずから開けるのです。これを忘れ、生 かされていることへの感謝・報恩を忘れ、執着・欲望を持ち、おごり、足ることを 知らず、自分だけが良ければよいと思っているから心に曇りができてうまく行かな いのです。地獄に通じ、安らぎを失ったあわれな人間になるのです。
 今の環境の中
で相互の関係を良くし、信頼を持って生活することが大切なのです。より慈愛に満 ちた人々との交流をはかり、貧しい人々に愛の手を差しのべるといった、豊かな心 と行いが人格を決定します。欲望への執着心を捨て、正しい心で正しく行動し、足 ることを知り、心の貧しい人を正しく導き、心の革命を起こしたとき、人間から不 満の心は消え去ります。

*三世…
 過去・現在・未来という三世における、悟った方というのは、転生輪廻していく 間に体験した人生の価値ある智恵の宝庫を開かれた方です。そのために最高の悟 りを得、自分の心の中にある智恵を得たのです。これこそ大宇宙を支配している 大神霊の神理であり、大光明の神理であり、これ以上の神理はないのです。一切 の苦しみを、人生の生老病死を原因として生ずる苦しみを取り除き、それは真実 のものであって偽りのものではない。それゆえに、正しい心、正しい行いを実践 したのちに、悟りの境地に達しよう。そして一切を成就しよう。

[解説] 神理とは、絶対にまちがいのない大自然の法則、神の心、み仏の心、とい った意味です。神理は教えられるものではなく、自分で悟るしかありません。盲目 の肉体舟に乗った苦しい修行の中で、正しい心・正しい行いを実践し、魂をみがき、 神理を悟りましょう。そうすれば苦しみがなくなり、全てがうまく行くはずです。
【注】「修行」とは、難行苦行をすることではありません。日々の生活の中で、 生かされていることに感謝し、神に教えられたことを実行することです。
                                                        【終】

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