葉

 我思故我在U (百姓のおっさんの独り言)2008.2〜

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   Cogito ergo sum. Cogito ergo sum. Cogito ergo sum. Cogito ergo sum. Cogito ergo sum. Cogito ergo sum.

 ここは、私と皆様が率直な意見を述べあうコーナーです。
(無益な中傷合戦をする場ではありません。)
人間は「考える」から人間なのであり、「食」や「農業」について私が思ったことを書きます。
独断と偏見に満ちているかもしれませんが、 笑って許して下さい。
また、皆様からのご意見もお名前を「鈴木あみ」なら「AS」のようにイニシャル表示して掲載させていただきます。
なお、必要に応じ、趣旨を損なわない範囲で文章を修正させていただくことや
私の考えを追記させていただくこともあります。
タイトルも、書かれていなければこちらで付けさせていただきます。
私の書いた部分は「KNコメント」 で表示します。

 これからは農業関係のほか、教育をはじめとする社会問題一般についても、おそるおそる書きたいと思います。
思うところを全部書くと商売にも支障が出ますので控えめにしますが、
それでも頭にくるときは《ド素人の遠吠え》と笑ってください。
ちなみに私は正しいかどうかは別として、世間からかなりずれているようです。

2015.3.29 家付きカー付きババ抜き
 アラフォーだとか、アラサーだとか、若い女性の評判が良くない。
私が非常勤講師として高校で教えていた頃に、「この子たちは大人になったらどうなるのか」と思っていた。
案の定自分のことしか考えない、言いたい放題やりたい放題の大人になった。
車の運転も、携帯はするは無理に突っ込んでくるは、無茶苦茶。
が、彼女たちだけだろうか。老若男女問わず、そんな人が増えてきたように思う。
生徒だけじゃない。当時30前後、今は50代くらいの有名大学卒の女性教師にも驚いた。
高校で教師の行動に関して問題があり、大もめにもめたが、
絶対に事実関係や自分の非を認めずしらを切り通した女性教師がいた。
それを見て、「しらを切り通した方が勝ちね」と発言するのを聞いてゾッとした。
今頃はベテラン教諭か教頭・校長位になっているかもしれない。

 10年前に売れない小説を書いたが、高校の恩師の奥さんが「あなたの言っていたような世間になってきましたね」。
よく考えてみると、今の70代から上は《家付きカー付きババ抜き》と言っていたではないか。
我々の世代も勉強さえできれば、早い話が点数を取ってそこそこの大学にでも入れば《とても良い子》。
結婚して料理や洗濯掃除や子育てができなくても「何が問題?」。
結婚相手に《三高》を求めた時代もあった。高学歴・高収入・高身長。
その上メガネをかけていないことなどの条件もあった。
それに当てはまるのは当時の日本では適齢期の男性のうち500人程度とか言っていた。

 自由や権利のない時代に戻ることはないが、人間、タガが外れるとロクなことはない。
自分で自分にタガをはめることも必要なのではないか。
自分のことだけ考える人間が得をする、金儲けだけ考える人間が金持ちになる、
人のことを考える人間は利用される、声を大きくして主張する人間の意見が通る、
世界の最低のマナーの人種・人間のレベルにグローバル化されるのが怖い。
尊敬すべき人種・人間もまだまだいるが《絶滅危惧種》になっていく。
悪い予想は当たることが多い。もっと希望のある予想をしなければならないのだが…。

2015.2.18 大丈夫ですか
 脳の動脈瘤の手術などもあり、このページはしばらく休んでいた。久しぶりに毒舌を吐く。

 ちょっと前、買い物をすると「1万円からでよろしかったでしょうか?」 なんて変な言葉使いで戸惑った。
この前、ホームセンターに行くと、「1万円からで大丈夫ですか?」。
思わず「わしは大丈夫やけどお前は大丈夫か?」と答えてしまった。
2,3日後、別の店員さんが「1万円からで平気ですか?」と来た。
これにはさすがの私も対応できなかった。
そういえば携帯をかけている女の子が「今平気?」などと言っている。
電話で話してもいいですかという意味らしい。
言葉も変わる。世の中これだけ変わっているんだもの。

2013.02.27 駆け込み退職
 3月末まで勤めると退職金が減るということで、警官や先生方が駆け込み退職している。
《苦渋の選択》だとか、いろんな、もっともらしいことを言っておられるが、それについてあえてコメントする気はない。
ただ、私が高校生の頃、近くに住んでいた中学校の先生が卒業式の前にがんで亡くなった時に詠んだ辞世の句を思い出す。
 『卒業の子らを残して我先に』
まぬがれて恥無きは凡人の常、とは言うものの。世界全体が悲しい時代になってきた。

2012.10.18 無知・無能を売り物にするな
 《おバカキャラ》というのだそうだが、おバカを売り物にしてテレビに出るのはどうかと思う。
《芸》としてバカを演じるのは結構だし、晩年の浦辺 粂子が「ボケも芸のうち、ありがたい世の中です」
と言われたのも気持ち良く受け入れられた。
が、今はどこに出しても恥ずかしい正真正銘の無知・無能をテレビに出して笑いを取っている番組がある。
日本人が、人間全体が《白痴化》されてきているのは悲しいことだ。
視聴率を取るためなら何でもする、製作費を削るために外国の番組を買ってきて流す。
テレビ界は文化を担っているという自覚を持ってほしい。

2012.9.18 シャープ
 サンヨーに続いてシャープも危機に陥っている。
同じ関西の家電メーカー出身者として、他人事とは思えない。
資本主義の世の中とは言え、お金で伝統や技術が振り回されるのはつらい。
あとの日本の家電メーカーが協力して助けることはできないのだろうか。
日本が崇高な哲学も信念も基本方針もない外国にかき回されるのは元技術者としては耐えられない。
もっとも、日本人でも《徳》のない経営者はいる。
金儲けに追われ、人間の尊厳を忘れた経営者が勝ち残るのか?

2012.9.15 有機農法の敵
 屋敷跡を畑にするから管理してほしいと頼まれた。
造り土を入れてほしいと言ったが、土建屋さんは「土は十分ある」という。
花を植える花壇なら十分かもしれないが、梅や栗を植える畑には無理がある。
2トン車で10杯以上いるようだが、お金もかけられないので、
壁土や竹・材木・瓦などを取り去り、
とりあえず軽トラックに6台ほど土を入れて、あとはカンナくずや鶏糞をEM菌で
発酵させることにした。土は少しずつ追加することにする。
 ところが、知り合いの農家によると、有機物で土づくりをしていた農家が訴えられ、
匂いの慰謝料として約400万円、壁も全面塗り替え、になったという。
だから有機農業は気をつけろと。
 鶏糞だけでなく、乾燥生ごみも雨に打たれれば匂う。
今は農地も次第に宅地化され、住宅のそばで農業をしなければならない。
いちいちお伺いを立ててながら気をつけて作業をしているが、
いつ、何を言われるか、訴えられるか怯えながら何が悲しくて有機農法をやっているのか、
正直、考え込むことがある。

2012.9.10 原発に思う
 政府は2030年までに原発ゼロにするという。
ただちに原発をなくせという人もいる。
そのほとんどは現実に原発がなくなったときに覚悟ができているとは思えない。
いったん贅沢を覚えると元に戻れないのが人間。
さんざん原発反対を言っておきながら、いざとなると後ろから石を投げる。
《安全、安心、有機・無農薬》を言っておきながら簡単に裏切る消費者を見てきている。
原発は単に電力が足りるか足りないかという問題ではないようだ。
原子力村の思惑、軍事的な思惑、石油に頼らないエネルギー対策からの思惑、…等々。

 私は石油依存からの脱出の観点からは原発に期待もするが、
《人間は自分がコントロールできないものに手を出してはならない》の観点から、
原発はなくしていくべきだと考えます。
原発を推進することによる弊害のほうが、原発をなくすことによる弊害よりも深刻だ。
地震列島日本に原発を置くことに恐ろしい謀略を感じる。
短期的な正解は原発をなくさないこと、長期的な正解は原発をなくすこと。

 テロやテロ国家が存在する限り、想定外の事件は起こり、
その結果を受け入れることはできないと思うのです。
福島の事故についても、「直接死んだ人はいないではないか」とうそぶく関係者がいた。
どれだけのことが起こったのか、自覚のない人間が運営する原発を認めるわけにはいかない。
《ただちに》というのは無理で、私は30年をめどに自然エネルギーの活用と蓄電法に知恵を絞るべきで、
日本人ならそれができると思う。
世界のいろいろな問題は石油など、エネルギーから発生している。
各国が他国にエネルギーで支配されないように。
人類が自らの尊厳を保てるように。…願う。
 この機会に贅沢、飽食の生活を見直して、身の丈に応じた社会を考えたらどうだろう。

2012.9.05 いじめ
 いじめというのはなかなかなくならないものだ。
『いじめゼロ』というスローガンを掲げれば、学校はいじめをもみ消そうとする。
特に校長は《臭いものにふた、事件のもみ消し》で自己保身を図る。
退職後の生活が何よりも大切なのだ。
そのためには《何事も起こらないこと、表沙汰にならないこと》がポイントらしい。
責任を人にかぶせ、手柄だけを自分のものにするのが《やり手》の校長。
たまたまばれても、「せーの」でみんなで頭を下げれば終わり。
三島由紀夫が憂いたように、日本人から《武士道》が消え、
責任を取る人がいなくなった。
そんな人が現れればこれ幸いと責任をなすりつけるのが関の山。
 うちの長男が小学・中学の時いじめにあったのは、
うちの近所の、私を嫌う家の特に母親の企みからだった。
そのグループはずいぶん大きく、力も強かった。
小学校では担任と生活指導の先生だけが力になってくれたが、
母親たちのグループは例によってあらぬ噂を広げ、
一人の先生を追い出してしまった。
解決しようとすれば自分が犠牲にならなければならない。
助けてくれる同僚はほとんどいない。
だから、知恵ある先生や校長たちは黙って頭を下げて嵐が過ぎるのを待つ。
私も塾や高校教師の経験があるが、親が普通じゃないと聞かされたら下手に注意はできない。
非常勤講師の身分で身の危険を冒すことはできなかった。
不良に職員室まで追いかけられても助けてくれる先生はおらず、校長はすでに逃げていた。
情けないがそれが現実だ。
今は当時よりはるかに《モンスターペアレント》がパワーアップしている。
《事なかれ主義》、《隠ぺい体質》は教育界のみならず、
世間の常識になってきている。
もう一度日本をどん底に突き落として根本的にやり直さなければならないかもしれない。
 さらに、テレビ界こそがいじめを助長しているようにも思える。
《いじめられキャラ》で稼いでいる芸人もいるが、
いじめが当たり前の業界をなくさない限り、犠牲者はなくならない。
ただ、いじめ体質はテレビ界だけでなく、マスコミ、文化人全般にまで広がっている。
世界の大国ないし一人前の国だってそうだ。
火事場泥棒、ウソつき、強盗、人殺し、詐欺、恐喝、…そんな国家がのさばっている。
いじめは人間の本質かもしれない。
こんな悲しい人間を神様は生かしている。
ならば、いじめに負けない、いじめに対抗できる工夫をしなさいとしか言えないのか。
私の経験では、勉強でもスポーツでもボランティアでも、何か一つ努力するのも方法だ。

2012.9.01 国は何してたんや
 災害が起こるたびに「市や県は何をしてるんや、国は何をして来たんや」
と責任を他に押し付ける。
原発のように国の政策、人災の場合はともかく、
台風・地震などの自然災害については「あなた自身は何を準備していたのですか?」と言いたい。
ケネディは「アメリカが何をしてくれるか問いたもうな、あなたが自国に何ができるか問い給え」と言った。
自己責任に徹したアメリカと、みんなで助け合って生きようという我が国では異なるが、
もうそろそろ日本人も自己判断・自己責任に向かっていかなければならないのではないか。
車のアクセルをふかして、あとのことは親方に責任を持ってもらうというのでは成長しない。
まじめに年金の掛け金を払うよりも、払わないで生活保護を受けたほうが得だという風潮を憂うる。
正直者が損をするというのはいつの時代でも真理である。
 我が家では、ぼちぼちではあるが南海地震等に備えて準備を始めている。
各畑に小屋を作っているのも、危険を分散するためである。
アクセルを吹かすばかりが能じゃない。安全・安心に時間とお金を使わなければならない。
それを利用しようとたくらんでいる人もいるだろうが。

2012.8.20 ライター
 100円ライターの着火ボタンが重くなったり、ロックを外さないとボタンが押せなくなった。
ロックの外し方も何種類かあるようで、年寄りには気軽に使えなくなった。
若者たちの放火防止対策と聞くが、若者たちはボタンが重くても平気、
ロックも簡単に外せる。要するに困るのは墓参り・仏さん参りの年寄りだけ。
マッチだって庖丁だって犯罪に使われる。
店にある100円ライターを回収する負担・無駄をどう考えているのだろう。

2012.6.20 休みは権利か
 団塊の世代といってもいろいろな考え方があるが、私は《休み》をご褒美と考えている。
これに対し、若者たちなどは権利と考えているようだ。
前者は、仕事が順調に進んでいなければ休みは返上、休みの前には頑張って仕事をしあげておく。
月、火、水、木、金、土があってはじめて日曜日がある。
後者は、仕事・勉強の進み具合と関係なく、休みは権利だから取る。
まず日曜日があって、それから月、火、水、木、金、土がある。
私は前者が絶対に正しいと思って今までやって来たが、
本当に正しいのか、自信を持って言えなくなってきた。
少なくとも自分はご褒美と考えて残りの日々を生きていこうと思う。
私以前の世代の、《月、月、火、水、木、金、金》は人間のバランスを崩すように思う。

2012.5.06 運転免許
 このごろは歩行者、自転車、バイクだけでなく、車でも脇道などから猫のように飛び出してくる。
車道でいきなり止まったり、いきなり動きだしたり、いきなりドアを開けたり。
携帯電話は当たり前になり、携帯メールやゲームも運転をしながらやっている。
ちょっと前までは若い女性に目立ったが、若い男性、そこそこのおばさん・おじさんにまで広がってきた。
シートベルトよりも深刻で、警察にはもっと厳しく取り締まってもらいたいと思うが、
そもそも運転不適格者に免許を与える、あるいは与え続けるのが問題と思う。
自動車教習所に行けばほとんどが合格になる。
合格させなければ《指導》がまずいからだと責められる。
教習所も商売だから危険人物であってもどんどん合格させる。
 思うに、運転不適格者は2割以上いると思う。
教習所で合格を決めるのではなく、警察が管轄する自動車試験場でのみ合否を決めるべきである。
予備校で大学の合否を決めるのがおかしいのは誰にでもわかると思うが。
せめて、事故だけでなく事故につながる交通違反をした時の処罰をもっと厳しくしたらどうか。
 駐車違反や車庫飛ばしももっと取り締まってほしい。
車庫証明は警察官OBが調査していることが多いようだが、結構いい加減さが目立つ。
市内では駐車場がない人でも郊外の田舎で楽々と車庫証明を取っている。
性善説ではやっていけない世の中になった。

2012.4.02 Steven P. Jobs の仕事は Good Jobs だったか
 アップルのスティーブン・ジョブズが亡くなって半年になる。
彼は並はずれた偉人に間違いないだろうし彼を絶賛する人も多い。
一百姓がとやかく言える人物ではないが、
私は発明は人間の一定の能力を退化させるものでもあると思っている。
《必要は発明の母》といわれるように、発明は必要以上のものであってはならない。
発明によって人類が助かる面と、人類が退化する面を比較検討することを考えるべきである。
知能に物言わせて次々と発明していくエンジニアや研究者を野放しにするのは危険だ。
年長者はバランスを考え、彼らのブレーキ役になることに躊躇してはならない。
ジョブズはパソコン以外に、i Pad, i Phone, i Pod などで必要以上の発明をし、あるいはさせた。
人類にとって本当に Good Jobs だったのか。
スマートフォンなどで得意になってページをめくる仕草をしている人たちを見ていると
人間がだんだん《阿呆》になっていくようで私は不安を覚える。
 ガンジーは道具として糸車を愛用し、人の手に負えないような道具はもつべきでない
というようなことをテレビで言っていたのを思い出す。
原発、スーパーコンピューターなど、《手に負えない》道具はこの先、人類に何をもたらすのか。
明るい未来だけではないと思う。
黒澤明の映画《夢》の中に出てくる「赤冨士」「鬼哭」「水車のある村」は
我々に強烈なメッセージを送っているが、飽食・傲慢にどっぷりつかった文明人に伝わるのだろうか。

2011.8.20 一票の格差
 一票の格差が問題になってから久しい。
かつて、30年ほど前に憲法をかじっていた、
「一票の格差が1:3を超える状態は違憲」というのが一般的な判決と記憶する。
《1:2を超えたら違憲》とする学者もあった。
確かに人間は一人ひとり平等だ。
が、《1万人の住民の代表が100人》なら《100人の住民の代表が1人》ということでいいのか?
1万人のところは議員が100人いなくても十分行政サービスが受けられる。
1人の議員では100人の住民の要求が通りにくい。
首都圏と鳥取県・高知県・徳島県などが比較される。
高知県は行ったことがないが、
旅行すると予算の使われ方は首都圏や大都会と田舎では雲泥の差があることが分かる。
台風に苦しみ、雪に苦しみ、過疎に苦しみながら土地・環境を守っている人と、
都会で恵まれた生活をして、要求も通りやすい人と、頭数だけで数えていいのか。
ガソリン税にしても、散々恵まれた大都市周辺の道路つくりに協力させておきながら、
やっと順番が回ってきたと思ったら《採算が取れないから》と地方は切り捨てられる。
地方では災害のとき、幹線道路がなければ陸の孤島になる。
いくつかのルートを用意する必要もある。
田舎は切り捨ててもいいというのか。
役人や議員が机上で機械的に決めるのはやめて欲しい。
50kgの荷物を1人で支えている場合と、
50kgの荷物を10人で支えている場合とでは差があってしかるべきではないか。
もっとも、発展という名で環境が破壊される都会よりも
切り捨てられて環境が守られる田舎に住んでいた方が幸せということもあるが。

2011.7.30 地方の苦労、東京知らず
 ここ数年、大きな台風は来ていなかったが、久しぶりに台風が来た。
四国・九州、とりわけ沖縄ほどではないが、田辺も台風のお気に入りのコースのようだ。
強い台風が東京を襲うことはめったにない。大げさに騒ぐが、ほとんどが騒ぐだけで終わり。
ましてや丈夫なビルに住んでいる東京人には台風の恐ろしさは分からない。
ちょっと窓を閉めれば終わりと思っている。
日本の良識といわれる櫻井よしこさんでさえ、昔ニュースキャスターをしていたとき、
台風が東京をそれて他の地方に進路を変えたとき、「良かったですね」とニッコリ笑って番組を終わった。
東京だけ良ければ良いのかと、腹を立てた思い出がある。
今のテレビでも、東京さえ助かれば他はどうでもいいという傾向が強いと思うのは《ヒガミ》か。
子供の頃、ジェーン台風、伊勢湾台風、室戸台風、…等々聞いたことがある。
台風で2階に上がる階段が外れたこともあった。
川の近くの我が家は昭和元年に新築するとき、石垣で2mほど上げ、
坂を上がったところには《堰》を設けられるようにしてあったが、
それでも庭まで水は上がってきた。
家が大きく、前にさえぎるものがなかったから、東風をよく受けた。
雨戸を閉め、《カンヌキ》をかけ、家の周りを片付けた。
大雨に濡れながら、田畑も見回って対策した。
台風一過…。
家の修理、野菜の始末、天日干しの稲が倒されたのを起こすのは1回とは限らなかった。
台風のたびに貧しい者に被害が襲い掛かる。
四国・九州、とりわけ沖縄はもっと厳しかっただろう。

 北陸・中国地方日本海側・北海道などでは雪。
特に過疎のところでは大変だろう。奪われる時間は大きい。
今回の大地震や原発事故の報道も、東京の被害状況に傾いているような気がしてならない。
人間は全国いたるところで生活を営んでいることを東京は忘れないようにして欲しい。
ただ、東京にも我慢してがんばっている人はいる。

2011.7.25 必要は発明の母?
 仕事用のパソコンが数日前から壊れている。ハードと部品の故障のようだ。
パソコンそのものは直ってきたが、メールソフトが今までのと勝手が違いすぎ、
前のお客様データを移すのにえらく時間がかかっている。
今はパソコンに関してはほとんど息子に任せているが、
これは私が歳を食ってついて行けなくなったからというだけではない。
お付き合いしたくない理由は主に2つである。

1.パソコンは高級おもちゃであること。
 昔、電気製品をはじめとしてほとんどの製品は誤動作や故障があると恥だった。
私がオープンデッキの設計をしていた頃、早送りからストップをかけたときに
止まらないことが一度でもあれば何度も実験して原因を確かめた。
オープンの場合、リールが金属だから誤動作は危険も伴う。
思うに、パソコンは基本的におもちゃ感覚で作られているのではないか。
誤動作したときに、もう一度二度やってみる、電源を一旦切ってみる。
それでOKなら「文句はないだろう。些細なことをいつまでも言うな。」ということになる。
しかし、これだけ高性能で重要な役割を演じているものを《おもちゃ》と言い逃れることは出来まい。
今の時代、世界から部品を寄せ集めて製品を作るのが当たり前かもしれないが、
それならその部品の品質をじっくり確かめてから組み立てるべきではないか。
競争に負けるというかもしれないが、成熟期に入った今だからこそ、
お客様の立場で経営をしてもらいたいものだと思う。
 余談になるが、同じトランシーバーでも、1万円台の松下製が壊れたときには苦情があり、
2万円台のおもちゃメーカー製が壊れたときは苦情がなかったと聞く。
理由は、「一方がおもちゃであるに対して他方は《NATIONAL》ブランドの信頼を裏切ったから」とか。
こんな怒られ方はむしろ名誉だと思う。

2.《必要は発明の母》の原則が過度に破られていること。
 パソコンよりもむしろ携帯電話において著しい傾向だが、《頼みもしない余計な》機能が多い。
昔から《必要は発明の母》といわれ、必要だったからこそ発明に感謝し、大事に扱ったのだと思う。
子供に必要量をはるかに越えるおもちゃを与えるのが《豊かさ》なのか。
携帯を更に発展させたものの他、いろんな機器が爆発的に売れているが、
今の人間の精神の許容量を越えた《発明》は人間を《アホ》にし、
堕落させる目的を持ったものではないかと考える。
次々とOSなどのソフトを出し、互換性をなくしたり、周辺機器を使えなくして大儲けしている者達よ、
いい加減にして欲しい。
嬉々として流れに乗せられていく、知ったかぶりで無知な愚か者達よ、早く目覚めて欲しい。
もっと大事なことややるべきことがあるだろう。
化粧やファッションに踊らされる女たちを反面教師にせよ。

 今回のパソコントラブルではバックアップが大いに役に立ってくれた。
このバックアップはかつて私がウイルスとハードの故障でデータをなくし、
バックアップで何とか被害を最小限にした2回の経験から、
息子と大喧嘩しながらUSBメモリに残させていたものである。
歳とともにパニックになりやすくなり、昔と違ってお客様のデータも増えた今、
データが失われたら気が狂うだろう。
息子の問題だと放置することも性格的に出来ない。
嫌われるほどしつこく言っていたことが
ようやく息子にも分かったのではないかと思うが、どうだろうか。
「外付けハードに自動的にバックアップしている」と反発していたが、結局残っていなかったようだ。

 30代前半の息子はパソコンが壊れることや危機管理一般をあまり考えないで生きてきた。
《何とかなるはず》という甘えがあり、老いたりとはいえ、昔のエンジニアである私の心配を
軽んじていたように思う。そういう時代にそのように育てられた。
《安心して暮らせる》のはいいことだろうが、過保護で人間の能力は確実に落ちていく。
パソコンや携帯の技術者の傲慢と独りよがりが気になることが多い。
年長者がもっとしっかりしないといけないが、《団塊の世代》そのものが危機感のない《戦争を知らない子供たち》。
いつか頭を打ったときは、昔と違い致命傷になるはず。
これも神の《おぼしめし》か。

 止まることを知らない《愚痴話》になってしまった。不快感を持った方もいるだろう。
60年余り戦争がなく、《平和ボケ》《危機感なし》といわれる日本人だけの問題ではない。
世界中の人間が《ある流れ》に乗せられているような気がする。
…なんてこと、百姓のオッサンがテンションをあげることもないか?!?!

2011.4.30 東日本大震災に思う
 大震災後の日本人の態度は世界から賞賛されている。
中には例外もあるが、いざとなると日本人の《美徳》のDNAが蘇るらしい。
《チャンス!》ととらえる悲しき隣国もいる中で、誇らしくすばらしいことだ。
自分のことしか考えずに出世し、金儲けをする人間もいる一方、
使命感に燃えて活動する優れて立派な《地上の星》もいる。
日本人もいろいろ。
割合の問題だ。日本人は情けないのが2割。
悪玉菌が2割を超えるか、その2割が強烈な場合、
そのグループは崩壊する。学校の教室でも同じこと。
今回は自衛隊員(誰が呼んだか暴力装置)である次男が福島に派遣され、
高校時代の友達も専門家として原発から20kmのところで調査活動をしている。
規模が半端じゃなかったこともあるが、いままで以上に関心を持った。

 石原慎太郎氏は《天罰》と言った。
《天の罰》、《悪事の報い》。
が、自らの悪事に対する報いのように聞こえ適当でない。
石原氏の本音は《神からの警告》ではなかったか。
単なる《言葉知らず》と言えば《著名な作家》に対して無礼かもしれないが、
私は彼を《政治家》として評価している。

 神からの警告は多岐にわたる。
危機管理、神や自然への畏れを忘れた日本人。
どんな地震や津波が来ても大丈夫なんて建築物は不可能だ。
被害を最小限にとどめることを考える。
築85年を越える我が家は数年前、《いきなり倒れることのないように》補強した。

 資源なきわが国で頭を痛めるのは原発。
私も元技術屋の端くれだから、《何でも反対》ではない。
が、科学の発達は科学者や技術屋の自己満足、自己実現であってはならない。
人類の幸福が第1であることを年配者は若き科学者に教えねばならない。
利権、国策、利益、名誉、地位、があまりにも絡まったのが原発。
最終的に住民のことを考えていないのが原発。
電力会社の対応はかなり問題だが、彼らだけに責任を負わせるべきではない。
本当に責めを負うべき人間はその背後にいる。
ともかくも原発を推進してきた行政・政治家、
自己保全と地位・名誉欲の学者、「放射線を浴びるのはむしろ体に良い」とうそぶく放射線医師。
無反省に電気を浪費してきた国民も、私を含めて、責めを負うべきである。
今まで恩恵を受けながら問題が起こるとうしろから石を投げるのはやめよう。

 特に、今までがんばって困難を乗り越えてきた人たちは自分の能力・努力を過信しがち。
それだけの能力があるのなら、謙虚に《天》を認め、敬い、従うこともできるはず。

2011.2.10 箸の上げ下ろし
 次男が1月末に結婚した。長男の嫁に続いて2人目の《娘》だ。
私は息子3人で、娘は育てた経験がない。
2人の娘は良く出来た方と思うが、気になることも多々ある。
「《舅》は口出しをしないものだ」と言われ黙っている。
《一姫、二太郎》というように、女の子は丈夫で育てやすいらしい。
が、女の子を《躾ける》のは難しいようだ。
かつて、「わしが女の子を育てたら、素直な良い子になるはずだ」と豪語していたが、
私には娘は育てられない気がしてきた。
息子達は「オトウサンの理想どおり育ったら、いじめられて自殺に追い込まれるかもしれない」と。
今は人と違っているといじめられるそうだ。
世の中のたいていの女性に言いたいことのある私。
「今までストレスを感じないで生きてこられたのは、私が女の本性を見せなかったからだ。
その意味ではあなたを甘やかしすぎた」と家内。

 テレビを見たり、よその嫁の話を聞くと、他人事ながら腹が立つ。
茶髪・金髪に濃すぎる化粧、似合わない服装、礼儀知らず、無努力、…のまま育って、
料理は出来ない掃除・洗濯大嫌い、自分勝手、礼節をわきまえない、マナーが…。
ただ、そんな女は《実の母親》がこれまただらしない。
姑が《箸の上げ下ろし》まで口を出すと怒っている《実の母よ》。
むしろ《箸の上げ下ろし》さえしつけできなかった己を恥じるべきではないか。
「親にもぶたれたことがないのに…」という言葉もよく聞く。
そんな親に育てられた不幸を嘆くべきではないか。
もっとも、虐待の親を持ち、自らも虐待の親になっていくのはもっと不幸だが。

 …こんなことを書いたら嫌われるだろうなぁ。

2010.6.2 異常気象 
 ここ数年、異常気象とやらで農作物も供給できないことがある。
野菜不足、野菜の値上がりは生産者やスーパーの責任にして、
「外国から仕入れろ、安くしろ」という消費者もいるが、
自分たちの問題ととらえ、自分は何をすべきか、考えて欲しい。
ものがないときは節約を考え、生産者と共に生きて欲しい。
 何かあるとすぐに人や国のせいにして甘えるのが日本人の悪い癖。
「あれが欲しい、これもして欲しい」では家や国家が立ち行かなくなる。

2010.5.10 内からの崩壊
 国家などが崩壊するとき、外部からよりもむしろ内部からが原因のときが多いそうだ。
思えば福祉・医療なども心無い人たちの無駄遣いのために、
本当に必要な人たちが救われない事態が生じる。
いくらいい制度を作っても、必ず壊す輩がいる。
 今は《消費者保護》に傾きすぎているが、《生産者保護》、《販売者保護》も大切だ。
消費者の《言いたい放題、のさばり放題》は結局流通を崩壊させる。
《売って良し、買って良し、世間良し》で行きたいものだ。

2009.12.10 リーズナブルな値段?
 商品が余ってきたとき、かつては《処分バーゲン》などと称して処分していたが、
安物買いみたいでイメージ的に好まれず、遠慮されるお客様も多かった。
そこで何かいいことがあったときに幸せを分かち合うという意味で
今は《ハッピーバーゲン》としてお得意様にお安く販売している。
《幸せ》というのは何とか見つかるもので幸せ探しに苦労したことはない。
 バーゲンでは20パーセントないし80パーセント引きで販売するのだが、
70ないし80%引きのときに「リーズナブルなお値段ね」と言われてがっくり来ることがある。
《リーズナブル》というのは《道理にかなった、もっともな、まあまあの》といった意味だが、
それなら通常価格は《ブッタクリ》というのだろうか。
採算が全く取れない価格を《適正価格》と考えているのだろうか。
値段などの場合、《余り高くない》という意味になるようで、
リーズナブルと言われるお客様も、《これならお金の心配なく買える》という程度の意味で
使っているのだと思うが。

2009.7.02 二代目三代目
 二代目三代目は初代の苦労、思想、信念などが分からない。
そのまましかるべき地位に着くと本人も周りも不幸になる。
下積みの苦労、人間関係の苦労など基礎から学ばせる必要がある。
修行させるために一時、よその会社の飯を食わせる先代もいる。
が、会社時代、有名企業の御曹司や会社のエライサンの息子を見たかぎり、
周りからちやほやされて少なくともその時期は修行になっているようには見えなかった。
《帝王学》というのかもしれないが、私にはただの遊び、自己満足に見えた。
二代目三代目は雑巾がけ、草引きなど、
人の嫌がる基礎からさせなければまともな後継者にならないが、
このごろではそれをやるとさっさと逃げてしまう。

 農業後継者も深刻だ。農業を継いでもらうために新車を買い与え、家まで建ててやる。
遊びまわっても親は文句一つ言えない。
言って決裂した家も多い。だましだまし導いていくのが大人のテクニックらしい。
私はわがままなのか度量が狭いのか、結論を急ぐ傾向がある。
落語には商家の道楽息子の話が出てき、若いうちに道楽をしておかないと大物になれないとも言う。
が、学ぶべきときに学ばなかった人間には先がない様にも思える。

 ま、何にしても二代目三代目の素質による。
あほな二代目三代目に育てた初代にも責任はある。

2009.6.23 ひよこの引越し
 ひよこの引越しがあった。
その前に部屋を空けなければならない。
オバアサン鶏20羽をオバサン鶏60羽のところに合流させ、
受精卵にするためのオスの烏骨鶏7羽をオネエサン鶏80羽の部屋に入れなければならない。

 ちなみに、うちではピーピー鳴いている間をヒナ、
卵を産み始めてから半年くらいまでをオネエサン、
更に1年のベテランをオバサン、
それを越すと一律にオバアサンと呼ぶ。

 ニワトリの合流は夜の、眼が見えないときに行うのが良いと経験的に知っている。
8時ごろから1羽ずつそっと抱いて移動する。
騒がせると近所から苦情が来る、いったん苦情が来たら関係改善は難しい。
無事に終えて、朝一番に様子を見に行く。
ひとまずおとなしく暮らしていてほっとする。
オバサンのところにオバアサンが入っても、「ちょっと年増がいるけどまあいいか」程度だから、
さして問題にならないだろうと納得がいく。
が、赤鶏のネエサンのところに白い烏骨鶏のオスがしかも年齢がまちまちの7匹が
朝起きたら同居しているのに、なんとも感じないのだろうか?
やっぱり所詮《ニワトリ》なのか。
例えば黄色人種のうら若き女性達の部屋に、
朝起きて青年から老人に至るまでの白人男性がいたら、
烏骨鶏だから髪がプラチナの黒人男性といっても良いが、
とにかく大騒ぎになるはずだ。
ニワトリというのは思いもよらない知恵を発揮する反面、
単純なところも見せる。だから人間のために卵を産んでくれるのだろう。

2009.6.3 オスのいない部屋
 2008年6月に仕入れたヒナ(今はネエサンと呼んでいる)
の部屋には今のところオスがいない。
赤鶏についてくるオスは大きく、鳴き声が近所迷惑になる。
そこでうちではオスは6ヶ月内に処理して食用にし、
受精卵を作るために烏骨鶏のオスを入れている。
例年のように赤鶏のオスを処理したあと、
少し遅れて烏骨鶏のオスを昼間に5羽ほど入れたが、
2008年女子は気が強いらしく、
ひよこから一緒に育ったオスも虐げられていたが、
新しく入れた烏骨鶏のオスも血だらけになって逃げ回っている。
人間界も女性は肉食系・猛獣系、男性は草食系の時代。
この子達はメスだけでいいか、と様子を見ることにしたが、
しっかりしたオスのいないメスの集団というのは収拾が付かない。
ケンカにつつきあい、殺し合い、…がひどくなっていく。

 オスにせよ、メスにせよ、いきなり同居させると必ず壮絶なけんかになる。
しばらくこのままにして、ほとぼりが冷めた頃、ちょいとテクニックを使って
烏骨鶏のオスを入れてみることにする。

2009.5.10 体罰と最高裁判決
 女子数人に悪ふざけをし、注意した教師の尻を蹴った小学二年男児の
胸元をつかんで大声でしかった臨時教員の行為は、
学校教育法の禁じる体罰に当たるのか−。
こんなことが最高裁にまで登って来る世の中になった。
最高裁は体罰を認めて賠償を命じた一、二審判決を破棄し、
原告側の請求を棄却する逆転判決を言い渡した。
むしろ、地裁・高裁のセンスを嘆くべきか。
男児は夜中に泣き叫び、食欲が低下し、通学にも支障を生ずるようになり、
病院に通院して治療を受けるなどしたというが、わがままが通らないためのヒステリーだ。
モンスターペアレント、しかも弱い立場の臨時講師をいじめるやつを、
私には許せない。

 かつて、息子がリンチにあったとき、扇動していたのは一部の親、
それに同調した同じグループの親の告げ口、問題から逃げ回る教師、
立ち向かった教師はあらぬ噂を立てられて飛ばされた。

 かつて、高校の非常勤講師をしていた頃、
そもそも数人の教師の悪事から学校が荒れた。
どの教師も注意しない、やりたい放題の生徒を注意した私は図書室で絡まれた。
校長も教頭も逃げてしまって不在。
助けに入った生活指導部長に対して寝転んだままのボスに
「君、きちんと座って聞きなさい」と手を伸ばした。
結果、私は《生徒の胸倉をつかんで引き上げた暴力教師》と県の教育委員会に報告されたようだ。
チビの私。190cmを越える生徒の胸倉に飛びつくことはできても、
引き上げることはできない。

 アラサーやアラフォーでなくても、恐いものなしで言いたい放題の女性が増えてきた。
女の腐ったような男も同じ。
勉強ができるだけで、いい学校に入っただけで、ほめられる時代に育った犠牲者かもしれない。
問題教師達は、悪びれた様子もなく、私を驚かせた。
何のとりえもない者でもひたすら吼え、のさばる時代。

2009.4.7 農業後継者 
 長男が百姓を手伝いはじめて4年になる。去年の1月から計画・経営も任せ始めた。
我々夫婦が元気なうちに責任を持たせ、自覚を持たせようと思ったのだ。
今なら困ったときに尻拭いする元気もある。実際ずいぶん尻拭いをさせてもらった。
農業後継者に悩む今どき、夕方からパートに行きながら昼間は百姓を
しているという話をすると「うらやましい」という方が多い。
が、親子が同じ仕事をするというのは我慢比べだ。
歌舞伎や職人の世界も決裂寸前のところまで行かないと子には伝わらない。

 離れていれば干渉もしないし、アラも見えない。
次男、三男とはそれなりにトラブルや喧嘩なくやっている。
が、私と長男ではどちらが上というわけではなく、性格、能力、考え方、がかなり違う。
年齢、時代、環境による違いも大きい。
外から見れば似ているのかもしれないが、毎日顔を突き合わせていると違いばかりが目立つ。
「任せたのなら口出しするな」と言うは易しく、行いは難し。

 よそ者、若者、変わり者が新時代を築く。
怠け者、無気力者は何の役にも立たない。
自己主張し、言い合いをしているうちが花と考え、辛抱強く見守るしかない。
私も親父が亡くなる前まで言い合いをしてきたものだ。
「やってみなはれ、やらなわからしまへん」を基本に考えているが、
私が赤信号と思うところで止まらなければつい口出ししてしまう。
我々が苦労して築きあげた信用や集めたお客様を失わせまいと思ってしまうのだ。
なるようにしかならない、息子は息子で新しい世界を築かせなければならない、
失敗は若いうちのほうがいい、…と開き直る方がいいのかもしれない。
命に別状ない限り離れて見守るのが親の務めか。
自分で頭を打たなければ分からない、頭を打っても分からなければそれまでの人間。

2009.3.1 本当に仕事はないのか 
 失業者の生活保護申請が増えているという。
国民が困ったときに国は助けの手を差し伸べなければならないが、財源は国民の税金である。
本当に仕事はないのだろうか。
農業・漁業・林業など、収入も休みもない仕事に就くくらいなら、生活保護を受けた方がましだとか、
条件の良い就職先がない、持ち金が32円しかないから何とかしろと言っているのを見ると
情けなくなる。それに同調してわめきたてる野党議員・進歩的知識人たちはもっと情けない。
自己責任で生きていかなければ人類は共倒れになる。

 世の中には頭とコネを利用し、人を踏み台にして楽にお金儲けをする人もいれば、
百姓などよりもはるかに厳しい条件の中で社会のために貢献している人もいる。
世間的には報われない(しかし神からは評価される)仕事を一度やってみたらどうか。
嫌な、割に合わない仕事は外国人に任せろ、という風潮は恐い。

 もっとも、人に賃金を払ってやっていける農家はほとんどいない。
私の農園にもこんなメールが来た。
「今は仕事を探している人が多い。他方農家は人手不足だ。
そこに目をつけて、農家に人を派遣するサイトを立ち上げた。どうでしょうか?」
「中国人の研修生を雇いませんか?」
確かに百姓は猫の手も借りたいほど仕事がある、しかし金はない。
誰かのせいにしようとも思わない。これは私の修行だ。

2009.2.10 テレビの性能と番組内容 
 大学に入った昭和42年に研究室で見たカラーテレビは《色が付いている》だけのものだった。
にじみのある塗り絵のようなものだったが、それでもプロレスの赤い血を見て失神する人が続出したそうだ。
今までの白黒テレビは黒い血だったのだから、赤い血はリアルすぎた。力道山の時代。

 あれから40年。テレビは急速に進化し、すばらしい色を出す。
ビデオも私が会社に入った頃は数十万円以上で、ラブホテルがお得意様だったそうだが、
今やテープの時代も終わり、DVD、ブルーレイ、ハードデイスクの時代。

 ハードの技術進歩に対し、ソフト、テレビ番組は低俗化の一途をたどる。
お金中心で世の中、人が動くようになったからだ。
おバカ、無知、プライバシー暴露を売り物にする番組はもちろんであるが、
一見まじめそうな番組でも製作者の能力・人格を疑うことが多い。
良心的で誠実そうに見える詐欺番組は始末が悪い。
そんな中でひときわ光る番組もある。
今の世そのままに、できのいいのと悪いのが極端に二極化されてきた。
私は良い番組をビデオに撮り、時間の空いているときに見るようにしている。
たまたまテレビの前に座ったときにやっている番組を見るのは時間の無駄だ。

 かつて、録音機のエンジニアのとき、実験室でビデオの責任者の方に、
「ビデオは売れるのかね、どうしたら売れるのかね」と聞かれたことがある。
ロケット博士糸川英夫先生の《逆転の発想》がベストセラーになっており、そこで、
《ビデオは売れない。テレビを見る時間のない人間にはビデオを見る時間もない》
というようなことが書かれていたからだ。
私はこう答えた。「忙しい朝の10分と、仕事が終わったあとの夜の10分は違う。
ビデオは時間を移動させてくれるものだから、ビデオは必ず売れる。
ただ、標準のカラーテレビ価格の1.5倍、つまり15万円位まで下げなければ火はつかないと思います。」
かの責任者はとってもとっても「エライサン」になってしまった。
私は若年退職し、郷里に帰った。
30年後お会いしたときはそんな会話をしたことさえ忘れていたようだ。
スッポンから月は見えるが、月からスッポンは見えない。

 情報が氾濫し、何を選択すれば良いか分からない時代、
文明の利器を使ってうまく乗り切っていくか、あるいは時代と離れたところに身を置くか。

2008.12.17 雇用問題 
 かつて松下幸之助は不景気の折にも社員の首を切らず、営業に力を入れて在庫品を売り切った。
今の不況と事情は違うかもしれないが、トヨタ、キャノンという経団連のエライサンで政府の委員も勤めた
方の会社が率先してパート、派遣のみならず正社員の首も切ろうとしているのは悲しい。
人間まで《カンバン方式》で行こうというのかトヨタさん。
この寒空に寮から出て行けに至っては言う言葉もない。
破れ奉行や桃太郎侍じゃないが、「てめえら人間じゃねえ」。
内定取り消しは雇われる側に新たな問題が生じたときに限られるのではないか。

 ここ数年抜群の業績を上げてきたのは経営陣の力だけではない。株主のお陰だけでもない。
従業員ががんばったからではないか。下請け会社を踏み台にしてきたからではないか。
特にパートや派遣社員を《格安》で使って利益を上げておきながら、
ちょっと見通しがあやしくなると簡単に首を切る。《使い捨て》では人材は育たない。
逆に言えばだからこそ業績を伸ばしてきたのかも知れない。
が、人の弱みにつけ込む傾向、経済至上主義、傲慢は必ず報いを受ける。
今は、政界、経済界、それに学者までも、お金が主で、人は従と考えている、
みんなが幸せになることをなぜ考えないのか。
熱烈な支持を受けた小泉改革は、ライオンとウサギを同じ檻に平等に入れたようなものだ。
ライオンはウサギを食い殺す。ウサギの努力が足りなかったせいではないのですよ、竹中さん。
ライオンとウサギは共に尊重され、共存できなければならない。

 逆に、今、雇いたい人が少ないのも確かだ。
かつては仕事ができなければ恥ずかしいと思い、何とか努力したものだ。
ところが今は、仕事ができなくても平気。雇った奴に見る目が無かったとうそぶく。
責任を持たなくてすむように、パートや派遣を希望する人間がいたのも確かだ。
学校でも、十数年前から自分の怠慢を棚に上げ、
「教え方が悪い、教科書が悪い、制度が悪い、社会が悪い」。

 今の不況はもちろん《犯人》がいるが、人間全体に反省を求めているような気がする。
少なくともそう考えて自分を見直すのが正しいと思う。
行き着くところまで行かなければ分からないのが人間。
ますます変な方向に《賢く》ならない様に祈る。

2008.12.04 世界不況 
 アメリカ発の世界不況は、一部の投機家だけの問題ではなく、あるいはバーチャルな世界だけの問題ではなく、
現実の問題となってき、多くの人を苦しめている。苦しみは始まったばかりだ。
原因を作った連中は大金を手にして、一般人に尻拭いをさせる。
エリート、支配階級というのはいつもそんなものだ。
私は経済については門外漢だが、そもそもの間違いの元はアメリカのドルが世界基準通貨になっていることではないか。
ニクソンショックとやら以来、金と交換できない《紙切れ》が、世界基準通貨としてまかり通り、どんどん《プリント》されている。
それでも文句が出ないのは、無理が通るのは、軍事力・核がにらみをきかせているからか。

 基本的な生産活動をせず、サラ金で金を借りまくって消費活動をし、
情報集め、腕力磨きをしている状態が健全であるはずがない。
経済至上主義は破綻する。拝金主義、投機生活は破綻する。
他人の金を巻き上げることを考えず、地道に働こうではないか。

2008.12.01 ヤーコン 
 ヤーコンという芋はまだ知名度はありませんが、フラクトオリゴ糖、ポリフェノール、ミネラルなどを
豊富に含み、糖尿、血圧、動脈硬化予防、便秘などに効果的という、十年くらい前から注目の健康作物です。
私どもでは5年ほど前から栽培を始め、失敗もしながら、種芋を増やしてきました。
 ヤーコン及びその料理法については次のHPを参考になさってください。
ヤーコンとは? http://www.ami-yacon.jp/y_yacon1.html
ヤーコンレシピ集 http://user.shikoku.ne.jp/ya-con/ya-kon-recipe.htm
   (各種料理の他、ケーキ、ジュース、ジャムなどにも出来るようです)

 今年は多少お分けできるだけの収量が見込まれ、まずはお得意様あてにメールを出しましたが、
反応が余りなく、思い入れが強かっただけに正直がっくり来ました。
もっとおいしいものは他にもありますが、私としては健康にも良い作物を広げたいと思っているのです。
一般に、農作物で《健康にいいもの》、《新しいもの》というのはブームに乗った時しか売れないのですね。
小松菜もテレビで放映されたときは「小松菜、小松菜」と騒ぎ、「来年はたくさん作るように」
と予約もされましたが、次の年には「ホウレンソウの方がうまい」といって、見向きもされませんでした。
ケールも《来年分けて欲しい》と言われたまま何の音沙汰もありませんでした。

 我が家でもそれほどいろんなヤーコン料理を試しているわけではありません。
ジュース、サラダ、キンピラ、味噌汁やおすまし、カレー、天ぷら、…と確かめているところです。
《得体の知れないもの》を買ってくださいというほうがおかしいのかもしれません。
1回食べただけで病気が治るわけでもありません。
が、自分のために、そして種芋を残すために、もうしばらく作り続けようと思います。

 ヤーコンの葉を蒸して焙煎したお茶は若干苦いですが、薬用茶としてはまずまずの味でした。
が、人にあげてもほとんど無反応でした。ほとんどは捨てられたのでしょう。
自分の《こだわり》はほとんどの人にわかってもらえないものだということを改めて知りました。
また、《こだわり》は人に押し付けるものでもありません。

2008.11.12 アリとキリギリス 
 夏の間、アリたちは冬の間の食料をためるために働き続け、
キリギリスは歌を歌って遊び、働かなかった。
やがて冬が来て、キリギリスは食べ物を探すが見つからず、
アリたちに頼んで、食べ物を分けてもらおうとするが、
「夏には歌ってたんだから、冬には踊ったらどうだ?」と断られる。
が、政府はアリがためておいた食料を《公的食料》として
キリギリスや働いたけれども食料をためられなかったアリたちにも
平等に分け与えた。
キリギリスは《公的食料》を当てにして働かなくなり、
アリは働く意欲をなくしてしまった。

2008.10.24 サブプライム? 金融危機? 
 サブプライムが発端となって実体経済までおかしくなってきたとか。
株をはじめとする投機や賭け事は一切しないから、
私には何の影響もないと思っていたが、そうでもないようだ。
保険会社や銀行は株などで資金を運用しているらしい。
私に言わせれば預かった金で《バクチ》をして食っているということだ。
かつて、年金保険の会社がつぶれ満額はもらえなくなった。
そもそも保険というのは出す金と保障してくれる内容を検討し、
「まあ、念のため入っておくか」と決断するものである。
その保障内容が、会社の都合で変更になるのなら判断の前提が崩れる。

 回収できる見込みのない人に金を貸し、
頭だけ良いやつがうまく組み合わせて人を騙し、
大儲けしたやつから逃げていく。
《ババ》をつかまされた投資家が、
「わしを見殺しにしたら困るやつが出てくるが、それでもいいのか」
とうそぶく。
これは大変だと《公的資金》。
公的資金を出すのは当然という方向に持って行かれるが、
バクチで負けた尻拭いではないか。
尻を拭いてもらった賢い人たちは何食わぬ顔で次の《儲け》に走る。

 こんなことをしていたら神さんは黙っていないよ。
「神よ」と懺悔してまた詐欺に走る、懲りないエリート。
「金さえあればなんでもできる」と言ったH。
「むちゃくちゃお金を儲けましたよ。
お金儲けは悪いことですか」と言ったM。
こんな人間を作るために東大に多額の税金を使っているのか。
日銀総裁までが、シラをきりとおして《勝ち》。
免れて恥なきは凡人の常。
秀才も所詮は凡人。
ポイントを抑え、些事を切り捨ててうまく立ち回れるから秀才と言う。

2008.10.17 北海道で思う 
 還暦旅行ということで家内と北海道(道東)に行って来た。
すぐそこに見える北方4島がなぜロシア領なのか、
素朴な疑問を抱いたが、その他の関心事はやはり農業。
ガイドさんの説明を聞くまでもなく、この地で農業をするのは大変だなと感じた。
和歌山県は恵まれすぎているといえばお叱りを受けるだろうが、
北海道、東北、北陸、九州地方は自然との闘いが半端じゃないと思う。

 雪がほとんど積らない田辺人からみると、
雪で半年農業が出来なくてどうやって食っていくのか、考えが及ばない。
特に《酪農》は《楽農》ではなく、むしろ《苦農》ではないか。
《食》は農業者、漁業者、酪農者だけの問題ではなく、
国民皆が一体となって考えていかなければならない課題である。
《誰かが何とかしてくれる》問題ではない。

2008.9.27 石破大臣に期待 
 石破さんが防衛大臣から農水大臣になった。
農水大臣は今まで重要視されず、任命されても
露骨に不快な顔をする人、開き直る人もいた。
農政は軽視されてきた。
が、《国を守る、国民を守る》という点では、
防衛省よりも農水省の方が重要なのではないか。

 世界の争いは主にエネルギーをめぐってである。
食料は最重要のエネルギーであり、これを他国に握られたらにっちもさっちも行かなくなる。
石油では大騒ぎするくせに、食料について、日本人は楽観的である。
スーパーでお金を出せば何とでもなる、商社が何とかしてくれる、
よその国が何とかしてくれる。
皆、人まかせだ。
命を人任せにするといずれ報いが来る。
石破さんには本気で農政を変えてもらいたい。

2008.8.07 アラフォーとヤンママ、ヤンババ 
 アラフォーという言葉を初めて聞いた。
あるHPの解説によると、こうだ。

 「アラフォーとはアラウンドフォーティー(around 40)の略で、40歳前後(35〜44歳)の女性を意味し、
アラフォー世代ともいう。アラフォーはアラサー(araound 30)の派生語として生まれた言葉で、
2007年から使われるようになる。…
アラフォーの特徴として、男女雇用機会均等法のもとで仕事をし、キャリアを積んだ世代。
結婚と仕事の選択がそれまでの世代より自由に行えるようになり、キャリアウーマン、
女性ベンチャー企業家も珍しくなくなる世代といえる。
経済的余裕と拘りからアラフォーをターゲットとする女性誌も多い。
また、2007年という時代に関係なく、結婚・出産・仕事を決める人生の岐路にある世代といえる。」

 40歳前後は割合積極的で元気な世代。
反面、言いたい放題、やりたい放題、のさばり放題、反省なし、
人の言うことに耳を傾けない、傲慢、わがまま、…とも言われている。
《新人類》および次の、《宇宙人》といわれる世代か。
実際、私も塾や学校で教えるとき、そして何よりも近所のある販売店
にたむろす若い女性たちにずいぶん悩まされた。
苦手な女性の割合が多い世代といえる。

 が、思うにこれらの《短所》は女性一般の《特性》ではないか。
もっと言えば、人間一般の特性ではないか。
我々の世代の結婚の条件は高学歴、高収入、高身長の《3高》といわれ、
少し上では《家付き、カー付き、ババ抜き》といわれた。
自分のことは棚に上げて虫のいい要求をしていたものだ。
今はその子どもたちの世代だから、更に勝手なことを言っている。
女もいろいろ。男だっていろいろ。
上下の程度の差はいつの時代もある。
ただ、《感心する》、《どちらともいえない》、《好ましくない》の
各レベルの割合は大きく変わってきている。
2:6:2の割合がもっとも自然と思うが。

 人間は理性や教育、しつけ、社会・家の束縛によってこれらの
短所を押さえつけてきた。
ところが、日本が平和で豊かになり、自由や権利が手に入るにつれ、
《たが》が緩み、外れ、誰も修正できなくなった。
教育がどれだけの力を持つのか、このごろ疑問に思う。
もっとも、教育そのものが昨今乱れてきている。

 《ヤンママ》は《ヤングママ》だと思っていた。
が、《ヤンキーママ》のことだという。
そう言えば《ヤンババ》もこのごろはやたら目に付く。

2008.07.05 教員採用汚職 
 大分県で教員採用や校長・教頭昇進について不正があったという。
他の県ではあわてて自分のところではあり得ないと発表していた。
教員だけでなく、地方公務員は縁故や金銭での採用は公然の秘密。
《余りにも目に余る》か、《それほどでもないか》の差に過ぎないと思う。
地方公務員はその昔薄給で、なり手がなかった。
その頃からの慣習だと思う。
いまや地方公務員は高給取りの代名詞。

 目に余るものを肯定するわけではないが、
そのようにして採用された先生でも立派に職務を全うしていれば、
取り消さなくてもいいのではないかと思う。
まともに採用されても、どうにもならない先生もいる。
お金を出さなければ先生になれない環境を作り、
その環境を維持してきた人間こそ罰すべきだ。

 授業に出ないで職員室や喫茶店で時間を潰す先生。
朝と夕方だけタイムカードを押しに市役所に行き、
ほとんど畑で農作業をしている市職員。
《県職は200万円》と明朗会計で請け負っている県会議員。
注意する勇気がないのか、恐いのか、弱みをにぎられているのか、
言えばみんなでよってたかって潰されるのか。
今や恐い人はどこにでもいる。
警察に助けを求めても見殺しにされる時代。
賢者は沈黙する、愚者は語る。
途方もない愚者にしか世の中は変えられない。

2008.06.12 百姓を泣かす国 
 燃料費も出ないからと、漁師が漁に出ないという。百姓も燃料費、肥料、飼料が軒並み上がって苦しい。
が、中国産をはじめとする食糧が安い値段で輸入されるから、生産物の値段を上げることはできない。
中国並みの賃金では日本で生活することは出来ない。
収入は発展途上国、生活は先進国、を強いられる時代になった。
他方、うまく立ち回って必要以上に稼いでいる人もいる。

 《モノ作り》の会社にいたから、モノ作り従事者を泣かす国は許せない。
物を作るより、金を動かし、金儲けに奔走するやつの方が絶対に儲かる。
もちろん、みんながみんな拝金主義ではなく、異なる価値観を持っているだろう。
まともな人間はお金を追わないものだ。
他人が金儲けしようが何をしようが気にならない人もいる。
それでも言いたい。
《食》を担当する百姓や漁師を、大笑いさせる必要はないが、
少なくとも泣かせる国に将来はない。

2008.04.20 格差社会 
 ケ小平が「富める者から富んで行け」と軌道修正した結果か、中国の格差は天文学的に増えている。
まさに、「富める者から飛んで行け」。
強者は弱者を食い物にして、ますます肥え太る。強者が弱者を引き上げるということはほとんどない。

 そもそも秀才がおちこぼれを救うことはない。落ちこぼれを救うのは、少しだけ上の連中だ。
彼らには落ちこぼれの《痛み》が分かるが、秀才には落ちこぼれの《ツマヅキ》が分からない。
大阪のある進学塾では、親の年収が数千万以上じゃないと入塾できない。
生徒が「掃除当番のときは塾の時間に間に合わない」というと、
「お前らはエリートだ。掃除なんかヒマ人にやらせておけば良い」と言ったそうだ。
点取り虫エリートの講師の指導で、どんな《エリート》が育つのか、ぞっとする。
夏期講座は高級ホテルで数十万円。いやが応でも傲慢になる。
彼らは医者、弁護士、政治家、官僚を目指す。

 格差社会は中国やインドだけではない。
かつてほとんどの国民が《中流意識》を持っていた日本でも格差は広がり、
格差は格差を呼ぶ。

 格差社会も問題だが、私には人間の格差の方が気になる。
すばらしい人間とどうしようもない人間の差がますます広がってきたように思う。
豊かさや平和のの代償かも知れないが、余りにも…。

2008.03.28 デジタルの世界とアナログの世界 
 このHPの写真ははじめはフィルムカメラで撮ってスキャナーで読み取っていた。
そのうちビデオカメラで撮って、直接パソコンに入れるようになった。
今は携帯のカメラで撮って、パソコンにEメールで送ったり、
デジタルカメラで撮って、カードをパソコンに入れている。
フイルム1本使い切るまで現像に出せなかった時代に比べて、
格段に便利になった。

 正月休みに、この数年忙しくて整理されていなかった写真をアルバムに貼った。
デジタルカメラで撮って焼いていないものは新たに焼きなおした。
デジタルカメラの場合、全部が全部印刷するとは限らないからだ。
フィルムカメラとデジタルカメラの写真が混在している。
デジタルカメラのデータは劣化することがほとんどない。
それに対し、フィルムのデータや現像写真は確実に劣化する。
古い写真は色あせているのが良い。

 レコードやテープも同じで、雑音が入っているのが良い。
CDなどデジタル録音されたものは劣化しないが、
《歴史》が感じられない、私はアナログ人間だ。
データだけは立派な今のステレオより、
オーディオ黄金時代のステレオに魅力と癒しを感じる。
設計者、開発者の意気込みを感じるのだ。

 時計も、デジタル時計はいろんな機能がついていて便利だが、
数字を読まなくても針の位置で時刻が分かるアナログの方が良い。
私は30年以上前に買ったベル付きの腕時計をまだ持っている。
車のスピードメータはアナログが多いが、
デジタルだと数字を読むのに気を取られて事故を起こすのではないかと思う。
もっとも、今の若者はデジタルのほうが慣れているかもしれない。
我々アナログ人間は数字を読み取る脳の反応も鈍くなっている。

 人間も年とともに髪の毛が白くなり、薄くなり、しわが増え、というのが良い。
歳をとってなお魅力的な人は少ない。
その価値が分かる人は更に少ない。

2008.03.27 技術の進歩と職人さん 
 畑の改造をするとき、石積みの職人さんにも仕事をお願いした。
普段あまり見慣れない石積みの技術には感心した。
さっと選んだ石が見事にかみ合っていく。
城の石垣など、コンピューターで計算しても理想的にできているらしい。

 かつて、オープンデッキを設計していたとき
正確な歯車を作れる職人さんを探したことがある。
見事な歯車の試作を作ってくれたのは時計の歯車を作っていた職人さん。
時計のデジタル化で歯車の職人さんは仕事が激減したそうだ。
一般に技術が進むと、職人さん不要になり、士気も低くなる。
1人の職人さんに頼っていては工場で大量生産できないから、
高度な技術を要しない歯車でも使えるように電子回路で解決した。
が、腕の良い職人さんの活躍の場を奪ってしまった後ろめたさが残った。
物が大量に安くできることは必ずしも良い面だけではない。
職人さんの修行を無駄にさせ、物のありがたみを忘れさせる。
人間から努力と知恵と感謝の心を奪ってしまう。
能率とお金だけの世界から引き返すことは不可能に近い。

2008.02.15 危険運転致死傷罪 
 飲酒運転で子ども3人殺しながら救助せずに逃げ、
飲酒の程度を少なくしてから自首した公務員。
危険運転致死罪にならなかったのは、
大きく次の2つの理由によるそうだ。
事故現場までは事故を起こさなかった(当たり前)。
酒に強かった(酒に強ければ飲酒運転にならないのか)。

 裁判官としては法の適用を厳密にすべきで、
世論に振り回されてはならないし、
問題があれば法を改正すべきだというのが正論であろう。
が、それにしても納得がいかない。
遺族はさらにその思いが強いと思う。
長期の懲役、死刑にすれば加害者が民事上の損害賠償を
することもできないと考えての苦肉の判決なのかもしれないが。

 今は人の命を何とも思わない無謀運転が横行している。
それよりも、何も考えないで行動する人間が増えている。
故意、過失より、《無意識》の方が怖い。
被害者は被害を受けた人間だけではなく、むしろ家族など残された者である。
報復行為は法で禁じられ、警察や裁判所に任せるしかない。
一方、人は人を裁けず、《復讐するは我(神)にあり》、かもしれない。
人は明らかなことについてしか判断できない。
裁判官に神の判断を求めるのは酷だ。

 この裁判をどう評価するか。
感情だけではいけないということは分かっている。が、
数年前、家内の車が飲酒運転の元校長、当時町内会長の車にぶつけられた。
1時間行方をくらまして水で胃を洗浄したり酔いを醒ました後現れた。
それでもべろべろに酔っ払っていて、
ろれつは回らず、歩ける状態でさえなかった。
飲酒運転での事故は3回目、校長降格2回という。
警官の飲酒検査を拒否しているうちに、
事故現場の近所の元警官が駆けつけた警官に「お前ら帰れ」と帰らせ、
うやむやになった事故を思い出す。
保険に入っていないからお前の保険から出せなど、
やくざのようなことを言っていた元校長は半年後に亡くなったと聞く。
《復讐するは我にあり》。
が、神は情け容赦ないようだ。
神の復讐を受ける前に人間が処理してあげるのもやさしさ、思いやりか。

2008.02.07 中国冷凍ギョウザ事件に思う 

 中国で作られた冷凍ギョウザによる中毒が問題になっている。
農薬がどのように入れられたか、誰が入れたか、まだわかっていないし、
わたしも憶測でものを言うつもりはない。
ただ、この事件から日本人は真剣に学び、反省しなければならない点が
いくつかあることを忘れてはならない。

 第1に、食料自給率。40パーセントを切ってどうするのか。
金さえ出せばどこからでもいつでも手に入る、
自分は効率の良い金儲けをして、食は誰かに作らせる、
…などと考えていないか。
食料は開発途上国に任せろといった評論家がいたが、
開発途上国はいつまでも開発途上国であるとは限らない。
そもそも農業を支えているのは65歳以上が多く、後継者もいない。
「金、金」で発展して来た日本の付けは必ず来る。
ワーキングプアというが、百姓はまさにそれで、
わが子に農業を継げと言える親は少ない。
あえて言うが、日本の農政、農業指導はあまりにも貧困だ。
農業から離れることに金をつぎ込んできた。
拝金主義、経済至上主義の風潮の中では仕方なかったのかもしれないが、
命を養う農業がなければ人権も個人の尊重もない。
コストはかかっても、自前で食を確保しなければならない。
《安全・安心》をやかましく言う日本に売らなくても、
食えさえすればいくらでも買ってくれる国はあると開き直られたらどうするか。

 第2に、安全チェック。中国の安い労働力を利用して金儲けしようとするなら、
安全は日本側がきちんとチェックすべきではないか。
特に安全・安心をうたって高く販売しているところは、
安全を他人任せにしてはならない。
中国に進出している企業だって、日本の品質レベルに達するように
必死で教育・指導しているのではないか。
そのまま日本に持ってくれば《安かろう、悪かろう》になる。
日本製同様に売るのなら、自分でチェックすべきだった。

 第3に、日本の安全管理。ミサイルや核だけが日本を攻撃するわけではない。
生物兵器、化学兵器はもちろんのこと、
食料や水による攻撃は容易だということが分かったが、日本はあまりにも無防備だ。
徴兵制を言うと、東国原知事のように総攻撃を受けるかもしれないが、
農業のための徴兵制を設けて、農地整備、農家の手伝い、道路整備、環境整備、
などを経験してもらえば、食や農業、環境の大切さを少しは学んでくれるかもしれない。
指導する自衛官は大変だろうが。
男女を問わず、時にはグータラな大人も集めて叩き直さなければこの国は持たない。

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