田辺と周辺あんない  田辺を知りたい方、田辺が懐かしい方のページ

検索エンジンでこのページにこられた方は、ボタンを押してトップページにお戻り下さい。

 田辺はもちろん、和歌山県さえ知らない人が結構おられます。田辺とその周辺をご案内しましょう。「田辺と周辺あんない」といっても、 全てを網羅することはできないし、意味もありません。中途半端な知識で書くと各市町村の皆様に失礼になるので、それぞれのHPのご紹介と、ごく一端を紹介する写真とで構成します。田辺をトップに、あとは北から順にご紹介していく予定です。 
 田辺も良し悪しは別として、大きく変わりつつあります。田辺を離れている方、懐かしく思われる方も時々遊びにおいで下さい。

お役立ち、いんふぉめいしょんコーナー  

 MAPION和歌山県地図   YAHOO地図情報ー和歌山  ゼンリン田辺市の地図
 田辺市の天気  AGARA紀伊民報  YAHOOグルメ
 田辺探訪  熊野古道と秘湯  田辺祭
 南方熊楠顕彰館  和歌山県立田辺高等学校  和歌山県立田辺工業高校
 和歌山県立神島高等学校   和歌山県立南部高等学校  和歌山県立熊野高等学校  
 湯の峰温泉  龍神温泉  白浜・椿温泉

≪田辺市≫ 新しい情報が上に来ています。

 和歌山県田辺は「タベ」ではなく、「タナベ」と読みます。他府県では田辺はあまり有名ではありません。「白浜の近く」と言わなければ分かってもらえません。でも、田辺は「市」であり、白浜は「町」です。田辺は弁慶の生まれ故郷、南方熊楠の研究拠点として有名です。海の幸、山の幸、気候、景色に恵まれ、良く言えば「おっとりしておおらか」、悪く言えば「競争心や危機感がない」傾向があります。外から来た人は「祝福された町」と言います。明るく晴れた日が多いからかもしれません。

 高速道路の橋げた (2011.3) 

 高速道路が田辺から白浜まで延びる。
昨年から工事が始まり、今結構進んでいる。
私の鶏小屋も作業道に引っかかり、去年5月末までに移転せよとの命令。
普天間基地の移転と同時期だった。
《鳩山》は約束を守れなかったが、《初山》は約束をきっちり守った。
《鳩山》と違って、《初山》には金がなく、移転費用が早く欲しかったから。

 写真は私の家の近くで、犬の散歩中に撮影したもの。
橋げたの下手にあった鶏小屋は、この橋げたの向こうの山に移転。
山まで水道を引くなど、鳥インフルエンザ対策にもお金がかかった。
そして、何よりも《自然卵》にするためには自分で設計施工しなければ
ならなかったので、4ヶ月くらいは農業の時間が取られた。
それ以外のいろんな交渉にも振り回された。
去年はミカンの剪定など、犠牲になったものが多かった。
HPもこの間ほとんど更新する時間がなかった。
工事の進捗状態はまた報告する予定。

 集中豪雨の爪あと残る高尾山 (2009.10)

 2009.7.7、天の川が氾濫したのか、集中豪雨があった。
市内の低いところは浸水被害。うちの鶏小屋も浸水。
5,6年前の大雨では半分近く死んだが、今回は数羽の被害にとどまった。
経験と対策のお陰。少しずつ賢くなっていく。

 写真は文里湾から見た高尾山。
3ヶ月たった今も、がけ崩れのあとが生々しい。
畑や道路でもまだ手付かずの所がある。
山の多い和歌山県は道路修理だけでも大変な出費。
都会の人には分かるまい。
それでも昔に比べれば道路が整備されて随分工事が少なくなった。


 

 農林水産祭り (2007.11)

 毎年恒例の田辺農林水産祭り。シイタケのホダ木を予約するために9時に行った。まだ店は開店していないが、すでに3人ほど予約があり、店の後に積んである。残りは細い。トラックに積んだままになっているのを見つけ、それから適当なのを選んだ。

 毎年いろんな議員さんが来ているが、今年は二階さん、世耕さんなど大物国会議員も挨拶している。そういえば今日11/11は阪和高速の南部ー田辺間開通の日。国会議員たちはそちらの式典出席が主な目的だろう。彼らに休みはない。かわいそうに思う。百姓の方が気楽で良い。イベントもいつもより盛りだくさんだった。2番目の写真は弁慶の鬼太鼓。3番目の写真は開通前の「南部ー南紀田辺 11日15時開通」のディスプレイ。

 このごろは《ワンニャン会》にミカン、米、味噌などを寄附し、売ってもらっている。農林水産祭りだから、農作物がないと肩身が狭いのだそうだ。売り上げで哀れな犬猫たちを救ってあげてほしい。

 幸福のスイッチ (2007.11)

 この建物に見覚えがありますか? あると言われる方はかなりの田辺通。幸福のスイッチという映画の舞台となった田辺市上秋津の民家です。ガラス戸の真ん中に張っているのは映画のポスター。
 実はこの家、私のオバサン(父の妹)の家のまん前にあり、いつの間にか《ナショナルショップ》になっていて驚いたものです。ここは昔駄菓子屋、つい最近まで食品や果物、花などを売っていた店。ここのご主人はよく知っているが、急に電気屋などできるはずがないと思っていました。

 オバサンは故障の修理を頼みに来る《おばあさん》役で出演。映画の撮影と知っていたら、沢田研二と競演していたのに。チクショー!残念!


 

  有料道路の田辺インター (2007.10.28)

 阪和自動車道が田辺まで延びてきた。11月11日に開通予定。
 結婚当初は大阪から田辺まで5,6時間かかっていた。車の旅は大人でも大変だった。子どもたちは空気マットの上に布団を敷いて寝かせてきたものだ。今は渋滞と反対方向を走ることもあって、約2時間。便利になった。

 公共事業は難しくなったが、公共事業そのものが問題なのではなく、それに群がるゼネコンや政治家たち、つまり、悪徳人間が問題なのだ。和歌山県は、いや、紀伊半島は幹線道路がなければいざというとき、陸の孤島になってしまう。必要な道路整備は進めて欲しい。
 ついでに言えば、片側2車線を早く実現して欲しい。特に大阪方面のナンバーをつけた車にはトラウマ的な恐怖を感じる。大風雨の中、クラクションを鳴らし続けながらビームで迫ってこられ、軽四のハンドルにしがみついて涙を浮かべて運転していた次男を思い出す。すでに制限時速を越えているのもかかわらず。後ろから銃を撃つ事件もあった。交通事故の被害者は本人だけではないことを、父と家内の事故から知った。お願いだから無謀運転はやめてくれ。


 東陽中学校 (2007.11)

 田辺市の中心にありながら、かたくなに改築を拒んできた(?)東陽中学校。よほど《伝統》を大切にしてきたのだろう。プールなども、私の出身校の高雄中学が2回目のプールを作ったというのに、いつまで経ってもなかったのは不思議でならなかった。
 このたび、やっと取り壊して新築の運びとなったようだ。
1枚目は旧木造校舎で今残っていたもの。その向こうのプレハブ校舎では授業が行われていた。
2枚目は唯一の新築だった講堂。そのすぐ手前は確か職員室だったと思うがすでに取り壊されている。
3枚目は校門。《東陽中学校》の看板は取り外され、扉の前の郵便受けに《東陽中学校》の名前があるだけ。








 

 紀南病院 (2007.11)

 平成17年に田辺市東本町から田辺市新庄町に引っ越してきた。下の写真は跡地。まだ何も建てられていない。広大な土地で、病院跡ということから、使い道が限定される。

 国立病院(南和歌山医療センター) (2007.11)

 昭和20年にできたという国立田辺病院が、白浜病院と合併して平成4年にできたのが国立南和歌山医療センター。田辺市たきない町の文字はどうしても《きたない町》と読んでしまう。下は国立田辺病院の跡地にできた,田辺市市民総合センター。

 扇が浜 (2007.11)

 昔の田辺高校の前には松林があり、きれいな砂浜と松の木があった。砂浜が扇の形をしていたので《扇が浜》といった。が、どんどん侵食され、白い砂はなくなり、砂利だけの浜も小さくなっていく。コンクリートの壁はいかにも殺風景だった。市民の評判も悪かった。
 今は上の写真のように海岸公園になり、向こう側は海水浴場になっている。青いのは松林。
 海岸と紀南文化会館や市役所の間に市営の海岸駐車場ができた。市役所の駐車場が狭く、文化会館の駐車場がなかったために作られたものだ。ここも初めの1時間は無料、あとは1時間100円という《格安》。
向こうに見えるアンテナはNTTのものだったが、合理化で田辺のNTTはもぬけの殻。ドーナッツ化が進む。






 田辺市役所と紀南文化会館 (2007.11)

 上が田辺市役所、中が紀南文化会館。市役所の写真は天気のせいか携帯のカメラのせいか知らないが、写りが悪い、いずれ差し替える。
昔、ここに《田辺高校》があった。いまは移転して下の写真のような立派な校舎になっている。この校舎には数学講師として1年間教えに行ったのと、次男の三者面談などに来ただけ。

 弁慶松と産湯の井戸  (2007.11)

 田辺市役所の前に、弁慶松と弁慶産湯の井戸がある。これは確か昔田辺第一小学校の裏通りにあったと記憶する。私自身、若いときに田辺を15年ほど離れていたから、その間の変化は知らない。帰って来てからも《放浪癖》はないから、田辺はあまり知らない。松は6代目ということだが、どんな意味か分からない。井戸はもちろんあとで作り直したもの。「こんなものだった」ということで納得すればそれでいいが、《史跡》の価値のないものを置いてどうするという声もある。

弁慶像

 田辺駅前にある武蔵坊弁慶の像。田辺のシンボルみたいになっています。
 弁慶の出生地については諸説ありますが、田辺には「弁慶生誕」の場所もあり、「弁慶祭り」が盛大に行われるなど、「弁慶が田辺出身であることはもはや疑う余地はない」 と田辺人は思っています。「弁慶の釜」なるお菓子もあります。
 ちなみに、武蔵坊弁慶と牛若丸をあわせた「武蔵丸」は当地の出身ではありません。念のため。

田辺の三人

 これも田辺駅前にある看板です。南方熊楠、植芝盛平、武蔵坊弁慶が田辺を代表する3人と言われています。
 南方熊楠は、1867年生まれ、海外で15年におよぶ独自の研究生活を送り、1900年(明治33)に帰国して、以後郷土和歌山県に住み、 とくに1904年からは田辺に定住して、亡くなる1941年(昭和16)まで37年間の後半生をこの地で過ごしました。残念ながら私は昭和23年生まれ。 7年早く生まれていれば同じ空気を吸え、もうちょっと「賢く」なっていたかもしれません。
 世界的な生物学者・民俗学者として有名であり、猛烈な勉強・研究は語り草になっています。「スゴイ」人ですが、庶民には奇人・変人として有名です。 むしろ「キチガイ」と思われていたようです。フンドシがほどけたまま土手や山を駆け回ったり、家にいるときはほとんど素っ裸だったといいます。 今は亡きウチの隣のおばあさんは、若い頃南方邸に野菜を売りに行き、大先生の「珍品」を見ていつも恥ずかしかったと言っていました。
 東大を、「授業があまりにもつまらない」といって中退し、イギリスでは喧嘩がもとで大学助教授の話をつぶしてしまったとか。 世間的な名誉に関係なく、自らの信念に基づいて超精力的にわが人生を送った生き方はうらやましいですが、それも能力あってのことでしょう。

リンク

田辺市 田辺市の公式ページです。田辺市の概要やイベント案内などもあります。

≪龍神村≫

 龍神村は木材と温泉で有名です。田辺から行く道は曲がりくねって狭く、いつもどこかががけ崩れの工事中だったような気がします。道路工事が急ピッチで進められ、今では2車線の道で快適に行くことができます。高野山まではスカイラインが通っており、観光客も増えましたが、昔の情緒がなくなっていくのはやむをえないでしょう。とはいっても、やはり、和歌山県は活性化してほしいものです。

 龍神温泉

 日本三大美人の湯といわれる龍神温泉。美人が入るのか、入れば美人になるのか分かりませんが、とにかくそう言われています。川の向こうが大衆浴場です。2年ぶりに訪れると、ホテルのように改装され、入浴料も上がっていました。
 私は昔のほうが好きだったな。「秘湯」とはいえなくなりました。
もう少し行ったところの河原に車をとめ、子どもたちと弁当を食べるのがパターンでしたが、今は家内と2人だけになりました。 いつかそのうち、孫ができたら連れてきて遊びたいと思います。

リンク

龍神村は田辺市と合併しましたので、田辺市の公式ページをご覧ください。

≪本宮町≫

 本宮町は熊野大社で有名です。小さいころは曲がりくねった悪路をひやひやしながら通ったものですが、今はすばらしい道ができていて、快適に短時間で行けます。私はどちらかというと温泉のお世話になっています。特に湯の峰温泉は卵を湯がいたりできるのでお気に入りで、よく出かけます。お子様つれのときは川湯温泉や渡瀬温泉が楽しいでしょう。


湯の峰温泉

(写真上)
 この温泉は自宅から新宮に向かう途中にあり,道が良くなったので小1時間で行けます。子供たちが小さかった頃からよく来ました。今でも夫婦で年に10回は来ます。真中が公衆浴場で,200円でヒノキの風呂に入れます。

(写真下)
 ここの楽しみは小川に沸いた温泉で卵や芋を茹でて食べることです。自家製の自然卵を半熟で食べるのは最高です。特に烏骨鶏を持って行ったときなど,みんなにうらやましがられます。中には「缶ビール」をくれるなど,「ミエミエ」の人もいますが,烏骨鶏の卵をあげると感激してくれます。ただ、ウチの卵は新鮮なため,皮がきれいにむけません。あらかじめ水につけておくか,3,4日たった卵を持って行けばOKです。
 奥の方にある小屋は「つぼ湯」といって、小栗判官が傷を癒した湯として有名です。小さなお風呂ですが,家族や夫婦水入らずで入りたいときにはお勧めです。料金は若干高くなります。

 和歌山県には龍神温泉・白浜温泉・椿温泉をはじめいい温泉がたくさんあります。ぜひ遊びにおいで下さい。ただし、「交通マナー」は守ってくださいね。県外から来た横暴な車に悩まされることも多いのです。「カーナビ」が普及してから田舎道を四駆の車が「我が物顔」で走り抜け,「ヒヤッ」とさせられます。都会の道や高速道路ではないのです。特に「大阪・なにわ・泉・和泉・神戸」ナンバーの方,「釣りのマナー」も守ってください。家に帰れば「いいお父さん」なのでしょうが,目に余るものがあります。
 神戸の大地震の義捐金を集めていて、信号無視の神戸ナンバーの赤いボルボに大声で怒鳴られた時は「空しい」ものがありました。
 事故を起こした和泉ナンバーの運転手が「ワシは何人殺してもいい保険にはいっとるんや」とうそぶいていました。そんな保険や法律はないよ。

リンク

本宮町は田辺市と合併しましたので、田辺市の公式ページをご覧ください。

≪白浜町≫

 白浜町はもちろん、温泉で全国に知られています。
早い海開きと真っ白い砂で有名な白良浜。人と自然のエネルギーをテーマにしたエネルギーランド。
パンダやイルカで有名なアドベンチャーワールド。
我が物顔の観光客に眉をひそめることもありますが、魅力的な町であることに変わりはありません。 

えびね温泉 (2009.9)

 稲はちをしようと思ったら久しぶりの雨。
息子達のお誘いで温泉に行くことにした。
えびね温泉は20年ぶり。カーナビより記憶に頼った。
日置川町と思っていたが合併で今は白浜町になっている。
昔は車の通る山道から狭い道を歩いて降りた。
暗くて狭い温泉だったが、今は少し川上に移転して綺麗になっている。
昔の建物には、息子もおぼろげな記憶があるようだ。
昔は温泉の水もなかなかタンクにたまらなかった。
今はポンプで吸い上げているようで効率的にはなったが、
《ありがたみ》と《風情》は…。
この温泉も今の時代に生きていかねばならない。

白良浜 (2008.8)

 8月も終わりの白良浜。さすがに水泳客は少ない。
もっとも、水着女性が込み合っているところにカメラを
持って行ったら《逮捕》されかねない。

 バブルのときにできた各会社の保養センターは不景気
になったときに次々と店じまい。
ここは無料だが、目の保養だけ。

町営温泉 (2008.8)

 いくつかある町営温泉のうち、牟婁の湯は一番利用する。
中国人従業員に話しかけるが、
《ニイハオ》以外はあまり通じない。
というより、普段の頭が日本語モードになっていて、
中国語と認識しないようだ。




アドベンチャーワールド (2008.4)

  有名な、白浜のアドベンチャーワールドです。
招待切符を貰ったので、20年ぶりに行って来ました。
はじめはワールドサファリと呼ばれていましたね。
ここは何と言ってもパンダの出産が多いことで知られています。
パンダの眼は黒い毛でごまかされますが、
よく見るとコアラのようなきつい目です。
イルカの曲芸も評判ですね。
昔はオルカがダイナミックな演技をしていましたが亡くなりました。
「イルカはいるか、オルカはおるか?」なんて、
おっさんギャグがはやりましたが、
今は聞いてくれる人もいません。

 志原海岸(しはらかいがん) (2008.7)

 旧日置川町は2006年に白浜町と合併した。
岩場はグレのメッカと言われていたが、私は釣ったことがない。
単に釣りが下手なだけだが。
ここはテニスコートあり、レストランや売店ありと、
昔に比べて《垢抜け》してきた。
田辺から来たときは手前にカサボという釣り場があり、
私は蛸を釣ったことがある。というより、勝手に引っかかってきた。
頭の皮をめくれといわれて足の間に手を入れたら
思い切り噛まれた。まさか股の間にくちばしがあるとは思わなかった。
 もっと行くと日置川河口でも釣れる。更に行くと周参見町。
ここらは《サヨリ》のメッカだったが10年ほどサヨリは回ってこない。

リンク

白浜町 白浜町の公式ページ。

≪那智勝浦町≫

  那智は那智の滝、勝浦は温泉やまぐろの勝浦港で有名です。写真は「あげいん熊野詣」に参加したときのものです。前の年は雨で中止になり、 勝浦港に立ち寄ったところ、ちょうどまぐろのせりが行なわれたあとで、まぐろの頭を10個ほどもらってきました。 「カブト焼き」は家では難しいので、電気丸ノコで半分に切り、炭火で焼いて食べました。ちょっと病み付きになりましたが、 まぐろの頭はそう手に入るものではありません。

1.勝浦温泉

2.勝浦漁港

3.せり市場

勝浦温泉と勝浦漁港 (2008.7)

 田植えと梅取りがほぼ一段落して、まず我々夫婦が休養に来た。
中旬頃には息子夫婦の番だ。
ニワトリと犬・猫がいるので、交代でしか休めない。
農園のお客様からどんな連絡があるかもしれないし。
このごろは安く泊まれる企画があって嬉しい。
カラオケがあるのも嬉しい。

1.は、我々が泊まったホテルの窓から写したの向かいのホテル。
 一番大きなホテルだそうだ。
 私は温泉があればそれだけで良い。肴はあぶったイカで良い。
 (八代亜紀の舟歌か!)

2.はマグロで有名な勝浦漁港。波止場から撮った。左がせり市場、右が保冷庫。
 波止場ではアジと木っ端グレが釣れていた。時々《ボラ》が邪魔をしに来る。
 昔、水がきれいだった頃はボラもよく食べたものだ。
 鯛よりうまい時期がある。どんな魚でも、おいしい時期がある。
 人間もすばらしい時期がある、最高の時期がある。
 一生続く人は珍しい。

3.はせり市場。20年近く前、ここでマグロの頭を物欲しそうに眺めていると、
 「持っていくか?」
 欲張りにも6つほど貰い、発泡スチロールの箱と氷を買って持ち帰った。
 カブト焼きは時間がかかるので、冷凍しなおして電気マルノコで半分に切り、
 キャンプ用の大きなグリルで焼いた。当時小学生だった息子たちは夢中になり、
 もちろん私も病みつきになった。マグロの頭ほどうまいものはない!!
 もともと私は刺身なんかより魚の頭やアラの方が好きだ。
 昔は子どもをダシにして「マグロの頭下さい」と言えたが、今はその勇気もない。
 魚屋をはじめ、いろんな人に頼んでいるが、なかなか手に入らない。
 マグロの頭と、うなぎを自分でさばいて七輪で焼いて食うのは最高の贅沢だと思う。
 《たれ》は尻尾や頭などを醤油、みりん、砂糖で炊いた汁。素朴でうまい。

 

衛士姿の私

 ストレス解消のためにまたまた「お祭り」に参加した私たち夫婦。「衛士」という平安時代の武士・お公家の格好をさせられました。 「あなたが一番似合っていた」と家内の評。もっとも、着付けをしてくれた方が「様になっている」とお世辞を言ってくれたので, まんざら「的外れ」でもないのでしょう。これでも先祖は「小さな城の殿様」ですから,多少その「血」は残っているのでしょう。 霊能者の方の話によると,その前の先祖は「豪族」の端くれだったようです。 「はかま」が長すぎて中で10センチほど折っていること、足袋が2センチほど余っていることは私と着付けの方のみが知る「秘密」です。

女御姿の家内

 「女御」姿の家内です。去年は雨でパレードができなかったので,今年は私も巻き込んで参加したのですが,首の赤い帯は本来もっと下にくるべきものだそうです。まあ、気にしない。「ヤットサー,ヤットサー」です。(ご存知「阿波踊り」の掛け声)
 

リンク

那智勝浦町 那智勝浦町の公式ページ。

≪新宮市≫

  新宮は、本宮が不便な所にあるので便利なところに設けた《新しい宮》という意味だと聞いていますが、ど素人が不確かなことを言うべきではありませんね。本宮には熊野大社、新宮には熊野速玉大社、神倉神社などがあります。神社はよく行きますが、《本家》のような古いところに興味を惹かれます。奈良なら高鴨神社。新宮は和歌山県の中でちょっと異質な感じがします。どちらかというと、近畿よりも中部・関東方面を向いているというか…。長男が下宿して新宮の高校に行ったので、我々夫婦は少なくとも月一で様子を見がてら通ったものです。

@

A

B

C

神倉神社(2010.1)

 神倉神社は農業・漁業の神様といわれており、ある方から「巨石をご神体とし、しめ縄が巻かれている神社を探しなさい」 と言われて10年ほど前にやっと見つけた神社です。 熊野信仰の一番元になる神社と私は理解しています。 詳しくはこのHPを見てください。

写真@
 地上の、社務所などのあるところ。小さな川(溝?)に赤い橋がかかっています。





写真A
 巨石までの急石段。10年前に来たときはそれほどにも思わなかったのですが、高所恐怖症で還暦過ぎの今の私には過酷な階段です。 写真では下から見ていることもあってそうでもないですが、上から見下ろすと結構急です。 しかも積み方が不規則。最近、人の案内も含めて2009年12月20日、2010年1月4日、 2010年1月21日と立続けに来ました。だんだん慣れてはきましたが、近日中に行くかといわれれば尻込みします。帰りの湯川温泉を餌に自分をだますしかありません。 2/6の《御灯祭》には若者が松明を掲げて駆け上るそうですが、《アンビリーバボー》ですね。





写真B
 しめ縄をまいた巨石。一旦休憩してからでないと巨石のところまで上がる馬力がありません。 ヤタガラスが高千穂から飛んできてこの岩に止まったとか。羽根のあるやつはいいよな。





写真C
 巨石の元から見た新宮市内。左上が熊野川(新宮川)、流れ込んでいるのが熊野灘。 右下は新宮高校のグランド、右上に長男が優秀とはいえない成績で卒業した高校が見える。 熊野川は昔々、子供たちが小さい頃、ゴムボートで川下りをした思い出があります。 家内は車で道を併走し、川原に降りられる所で合流。県内を中心に方々連れて行ったわりには子供たちに感謝されていないが、 「見たことがある」風景が多いことは感じているようだ。

リンク

新宮市 新宮市の公式ページ。

 

このページについてのご意見・ご感想がありましたらどうぞ。お名前とメールアドレスは必ずお書き下さい。